遅かりし

野洲川河川敷へオギを撮りに行った。河川敷一面、午後の日に輝くのを疑いもしなかったのだが、行ってみるとなんともう時期が過ぎており、まるで綿菓子の花盛り。その上にそれを取り囲む樹木が伸びてオギを取り囲み、川の流れが見えなくなっていた。日常いつも通るわけではないが、急に風景が変化したよう。いずれにしてもこれでは写真にならない。
そんなことで方向転換、川田橋左岸の三角公園へ行く。旧南流の堤防に囲まれた三角形の土地。以前は竹藪で覆われサギの巣だったが、いまは新しく公園になったところ。対岸の野洲市竹生に開発された住宅地が見える。標題写真は残された旧堤防の先端、眼下に放水路の堤防が見えるところである。先ほどの綿菓子畑が新堤防越しに白く見える。
いま立っているのが旧堤防上。かつての高さがそのまま残っているかどうかはわからない。しかし、残すにあたっては、高さを削ることはあったとしても、現役当時よりさらに積み上げるということはないだろう。いまの堤防をはるかにしのぐその高さに驚く。対岸の堤防林は以前のままだが、河川敷の中央辺りにもう1本、樹木の列が見える(逆にオギの繁殖範囲が狭くなっている)。以前はこんなことはなかったはず。樹木の繁殖力に驚く。
写真ステージ 「近江富士」
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田霧騒動

2日続けての快晴である。6時半ちょっと前だったか、新幹線の向こうを見ると、田んぼの上に霧が這うのが見えた。寸秒を争う。歩けば2,3分の距離だけど、クルマで飛び出した。車載温度計9℃。とりあえずいつもの定点から1枚。霧が流れているように見えるがスローシャッターではない。そんな面倒なことをやっている時間はない。霧が流れるその瞬間が止まって写っているだけである。
とりあえず1枚撮って、辺りを見回すと左右の方の霧が濃い。左、野洲高G方面。もう1枚右(オリベスト方面)。隣の芝生は青いという例の貧乏人根性(イエイエ皆さんのことではアリマセン。私自身のことでして)かと思ったがどうもそうではないらしい。三上山に向かって農地の中央を走る一直線に走る農道の方向だけ霧が薄いのである。
中央の農道に対して十字に交わる、第2の定点としている場所まで進んでみた。三上山方面には全く霧がない。ひがみ根性がさらに増す。後ろを向くと早くも三上山の陰の向こうに輝くばかりの新幹線。その手前には霧が漂っていた。その間10分ほど、帰り着いて振り返ったときには”これなら飛び出すことはないわな”という状況だった。ごめんなさい面倒な文章を読んでいただいて。ことほど左様に霧というものは厄介なものでして。
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477号の怪

日野川下流部にかかる野村橋、湖岸道路に架かる日野川大橋を最下流として、すぐ上流の橋である。その橋を左岸から右岸へ渡って、堤防を下ったところである。日野川は一般的に言えば、近江八幡市と野洲川の境をなしているが、下流部のわずかな範囲でこの原則が崩れる。両岸が近江八幡市である。たとえば兵主大社あたり(野洲市六条)から国道477号を走ると、最初は野洲市域を走るが、日野川の300mほど手前で近江八幡市域へ入る。”左岸から右岸へ”などと持って回ったことを言っているのはそのためである。おそらく河口部が改修されたとき、流路が変えられたのであろう。新しい野洲川放水路など、大半が守山市域を流れている。以上、この写真とは何ら関係ないことである。
で、写真にもどる。画面奥に連なる家並みが野村集落。ここでまたややこしいことが起こる。先ほど国道477号を進むと書いた。野村橋は477号である。それを左岸から右岸へ渡った。いまの撮影場所はそこから直進して堤防を下ったところ。当然477号だということになるはずだが、そうはいかない。477号は野村橋を渡り切ったところで何を思ったのか堤防上を右折。少し走って集落の中の細い道へ入っていく。477号の怪である。見えている街並みが477号沿いということになる。画面左に見える森が野村神社。その左、傾いた台形の稜線が城山。希望が丘芝生ランドのすぐ北に位置する城址である。
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光走る

日野川下流、湖岸道路・日野川大橋と1つ上流の国道477号・野村橋との間、右岸東側に広がる農地である。右側に伸びてくる並木が日野川右岸の道路に植えられたサクラ。はて、どこかでも同じような桜を見たぞと考えてみたら、つい近くの野村橋上流の日野川右岸だった。橋を渡って上流へ行ったり下流へ行ったりしていたため、別々のように考えていたが、植えた立場からすると同じ右岸に通して植えたのかもしれない。
手前は一見荒地に見えるが、大豆が植わっているらしい。雲が多くその中で光が走る。晴天で流れ雲の影が走るのはよく見るが、このように光が走るのは珍しい。先ほど手前を照らしていたのが、スーと遠くへ去り野村橋付近の集落を照らしている。あとは琵琶湖から吹き付ける風に、寒さだけが残った。
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寒空

朝から風が冷たい。晩秋から冬にかけて、午前中はそこそこの天気だったが、午後になると雲が多くなる。分かっているのだからそれを避ければいいのだが、いつの間にかその時間帯に家を出る習慣がついてしまった。難儀なものである。ここは野洲市野洲集落からJR琵琶湖線を挟んだ反対側の農地。守山方面から来た電車が野洲川鉄橋を渡って、野洲駅への勾配を下るところである。
最近いつも感じるのだが、電車の音が静かになった。子供のころの電車ごっこ。ガタガタン、ガタガタンが掛け声だった。家の横を走っていた京都市電。遠くからでもその音が聞こえたものだ。いまは違う、意識していてもほんの目の前に来なければ聞こえない。もっとも電車の音ではなく、自分の耳が怪しくなったのだろうけれども。このときも、ああまた曇ってきたなと空を見上げていて気がついたら、電車の最後尾が竹藪に消えていくところ。しまった!、また次まで待つのかよ。
近江鉄道を撮っている水口教室のSGさんは、30分、1時間と気が遠くなるような時間をじっと我慢して待つという。短気なボクには到底無理だ。どうしよう・・・と、そのとき天の助け、竹藪から白い電車が現れた、先ほどの電車が引き返してきたように。
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山麓越し

西の湖と八幡山との間、いわゆる水上庭園(私が勝手につけた名前)付近の地図を見ると、まだ少し気になる場所がある。今日はその中の一つ、北の方円山町方面。水上庭園から北へ向かうと焼田橋という橋を渡る。いつか西の湖園地から見た水郷巡りの船が、一回りして返っていくのを見たところである。手漕ぎ船の場合ほとんど音はしない。湖畔を歩いていると、急にヨシの陰から人の話し声が聞こえてきて驚かされる。この写真の右側が水路である。まんがよければ船が見えるといったところ。ほとんど話声だけが通り抜けていく。ところどころこのように湖面が見えるところもあるにはあるが、三上山は見えない。
標題写真は水路から離れて、ちょっとした農地を横切って振り返ったところである。うしろはまさに西の湖そのもの。右前方から下って来る八幡山の裾から上半身だけを見せたところ。このエリアではここが最後というところである。
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