旧堤防上

滅びゆく風景もあれば生まれ出ずる風景もある。ここはかつての野洲川北流右岸堤防上。竹生口交差点から市三宅集落へ続く手旧堤防上の道路である。竹生口交差点の改良工事と同時に改修された。この道はつい3,4年前まではこんな状況で、両側はうっそうたる森、車が通ることもめったになかった。それが拡幅されこんな直線道路になった。ただし、この先が市三宅の集落楽内の道につながるため大型車は途中の工場まで。そこを過ぎたところで流れを調整するゾーンがある。標題写真の撮影場所はこのゾーンからすこし市三宅集落寄りの場所である。
道路拡幅によって、両側の森が切られたのだろう。竹藪の幅が減少したところがある。そこから山が見える。大きな裸の木は堤防林として最初から生えていたものだろう。微妙な場所で大きく成長すると邪魔にされるような場所に生えている。得難い風景として皆に愛されればいいのだが。それより、当分の間は竹の処理。ほっとけば勝手に密集するから。風景は勝手にはできない。
写真ステージ 「近江富士」
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風景の終焉

柿の木が切られたことを知って1か月ほどになる。そのときにはまだ地蔵さんは残っていた。当然それもどこかへ移される運命にあった。先日行ってみてそれを確認した。残っていたのはコンクリートのガラクタだけだった。地蔵さんを置くのに使われていた土台の残りだろう。まさにきれいさっぱり。もうここからの風景を撮ることはないだろう。
考えてみれば長い付き合いだった。1982年に出版した『四季近江富士』のトップもここからの写真だった。思えば長い付き合いだった。三上山を撮りだしたのが1976年だからそれ以前は知らない。私が知るよりもさらに長い年月が流れているはずだが、それは別にして、私が知ってからでも40年、風景に寿命があったとつくずく思う。最初の2,3年だったか、いつ行ってもどう撮っても写真になった。柿の木も若かったし、地蔵さんも落ち着いていた。いまもその風景に出会えたことを感謝している。(近畿日本ツーリスト『弥次喜多』1997年11月号)。その風景が徐々に崩れだし、滅びていく。
話は変わるが、いまでいうとどのあたりだろうか。国道1号の栗東ICから少し石部寄り。そこにポプラの木が数本並んでおり、その向こうに三上山が見えた。どこにも風景の乱れはなかった。そこへ行って三脚を立てればそれでよし、そんな風景だった。惜しかったのは、標準レンズでは周囲の雑物が入ることだった。いま思うとそれでもなぜ撮っておかなかったのか。そのとき注文しておいた望遠があとわずかで届くはずだった。それからでいいか。結局その日はシャッターを切らずに帰った。望遠を持って意気揚々と出かけてそこに見たものは、上半分を切られたポプラの姿だった。残った下半分が消えたのはそのあとすぐだった。
このように日の目を見ない出会いもある中で、地蔵さんと柿の木は長いつき合いだった。感謝。
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白い風景

快晴の冬の朝、我が家から見ると山全体が白くわずかにブルーがかって見えることある。ところがその明るさが、いつもの撮影場所、新幹線の向こうまで行くと微妙に変わる。それを見極めるのが難かしい。この日はそれがわずかに濃く見えた。いつもはズボラ癖で、どうせ行ってもダメだろうとも逃すのだが、この日はひょっとしてとの思いが強かった。モヤが濃く、肉眼で見ても山体が見えるか見えないか。よほど意識してみなければ見えないかもしれない。しかし私としてはイメージ通りの線が出たとの思いが強い。
撮影し終わって、もう帰ろうかと思っていたとき、住宅地の方から男性が一人子犬を連れてやってきた。通り過ぎればちょうど後ろ向きになる。狙いは山だし、あまり大きく入れすぎると犬の散歩の写真になる。これが最適だったか怪しいものだが。前方では国道8号のバイパス工事が始まっている。まだ平面的でほとんど目立たないが、鉄塔の右に見える田んぼへのスロープは工事のために新しく付け替えられたものである。
昭和30年代、京都の古書店で岡田紅葉の『富士』という写真集を見つけた。そのなかにススキの穂を前景に、どこにあるの?と探さなければならないような富士が写っていた。忘れられない1枚である。もちろんそれの足元にも及ばないが。
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Posted by
八田正文
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08:32
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崩れる風景

川田大橋からである。放水路が完成してずっと、ここからの風景がこの工事が作った最高の風景であると思っていたが、残念ながらここ数年はその状況が変わってきた。その理由は大きく分けて2つある。
一つは右岸(上流から下流を向いて右側)野洲市竹生に住宅地が開発されたこと、これによってずっと画面の中で続いてくる堤防林が途切れて風穴があいてしまった。これは人工的な現象である(標題写真の左端)。
もう一つは河道の変化。工事が完成、通水が始まったころは河床一面に水が広がって流れていたが、それがだんだん狭まり、流路が確定してくる。こうして流路が蛇行するようになる。こういう状況が長く続いていたが、何年か前の台風のときにそれを一気に押し流してしまった。いまはほとんど右岸河川敷沿いに橋の下流まで一気に流れ下ってしまっている。それによって撮影位置も左へ寄らざるを得ず、右岸に開発された住宅地が画面に入ってくるようになった。今の写真を撮るのに気合が入っていないことも事実だが。
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梅花

川田大橋の下流左岸に沿って、途中の田中コンクリート工場まで、堤防外側にしっかりした道路がある。その道路を通して上流側に三上山が見える。方向性としては決して悪くないのだが、何の変哲もない道路であることと、堤防の下から見上げる形になることとで、あまり食指が動くことはなかった。今回ダメでもともととそこを歩いてみた。畑の片隅で梅の花が咲いていた。今まで気がつかなかった木である。たぶん花の時期に来たことがなかったのだろう。剪定された木が置いてあったりして、必ずしも整備された風景とは言えなかったが、それも生活の一部であろう。
左側に見える明るい茶色の面が川田大橋から下流、こちらの方へ下って来る左岸堤防の外側。最初に述べた道路はその手前、工場関係の車が通る以外は、一般のクルマはほとんど通らない静かなところである。
いま、FM放送でシューマンのピアノ五重奏曲をやっている。20歳代前半だったか、オープンリール式のテープレコーダーのデッキを買ってきて、アンプを真空管式で組み立てた。ホンマに録音できたときは嬉しかった。テストに録音したのがこの曲だった。暇なときはこの曲ばかり聞いていた。デジタル録音、そんな言葉すらなかった遠い昔の思い出である。
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湧水

守山市川田町中町の公園。大きな木の下に東屋があって、”尼ケ池水辺公園”とある。公園の中心は丸い池で地図で見ると細い川から水が流入しているように見えるが、現場で見ると水が地下から湧き出ている。下手へ流れ出る小川(標題写真に見える小川)にはいつも豊かな水が流れている。農業用水路になると、季節によって水の量が増減するが、この川はそういうことはない。といっても毎日見ているわけではないから大きなことは言えないが、少なくとも私が見る範囲ではということだけど。
それにしても、守山の水はきれいだ。方々で湧き水を見る。伏流水が多いのだろう。私が住んでいる野洲も、以前は湧水が多くみられたというが、今は見られない。川の水の透明度も守山には及ばない。
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3月です

昨日と同じ道路を歩いている。中町集落の中に若宮神社が祀られている。その近くで湖南幹線の延長道路・市道?側へ出たら、道路の近くに横一線にナノハナが咲いていた。バックに工場(昔は全部旭化成だったらしいが、昨今はもうちょっと込み入っているらしい)が並び、必ずしも視界良好とは言えないか。走っているクルマは近江大橋の方からやって来て野洲川の方へ向かう。いずれにしても大した写真ではない。

面白そうなので私も野次馬根性で行ってみた。話には聞いていたけれど、まあなんともはやエグい所だった。柵、電柱、トイレの壁、腐り(おかしいな、鎖と打ったはずだが)、・・・。しかしよく見ると梅だけではない。笹もあるし、松も植わっている。早い話が”松竹梅”が勢ぞろい。誰が育てたのか知らんが、こんなめでたいところはない。これをちゃんと撮ったら、エエことありますぞー。何時間粘っても腹は減るけれどトイレには困らない。
まあ、一回行ってみなはれ。ええ写真を撮ろうと思たらアカンけれど、楽しむつもりでいったらこんな面白いところはない。場所は守山高校前交差点。守山駅から琵琶湖の方へ一直線。角にトイレがある。左の電柱の下、見えるかなー。しかし、この信号どっちも赤やけど。。。
面白い写真が撮れたら送ってきてください。しかるべきコーナーを作って紹介します。小道具OK。アイディアの勝負。ただし現場を荒らさないように。
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