屋根の上に

野洲市市三宅。近江富士大橋と川田大橋との間、右岸に位置する集落である。かつて南北2流に分かれていた野洲川が、まさに2つに分かれるところ。その右岸に位置していた。その昔、野洲駅に北口がなかったころは駅から集落までの間は一面の田んぼだったが、IBMが誘致され北口が開設さてると、いつの間にかその間は住宅でつながってしまった。
写真は旧来からの集落内を通るメイン道路が野洲川堤防にぶつかるところ。カメラ位置が高いから屋根の上に山が見える。ちょっと珍しい構図である。
余談だが、集落内の屯倉神社に”旧八町堤防水止め石”なる遺構が保存されている。ここにも水との戦いがあった。
ボヤキ:先刻ご承知のジャイアンツの問題。京都新聞の関連記事の中で、住田裕子弁護士談話の一節。賭博性は低いとした上で、「億を稼ぐプロ野球選手にとって、1回数千円の出費は缶ジュースを買うようなものだったろう」とある。ボクは住田裕子弁護士がいかなる人物か知らないが、どこかおかしい。「億を稼ぐ選手だからこそ、たとえそれが感覚的に缶ジュースを買うようなものであったとしても、やってはいけない」ことではないのか。世のなか間違っとるぞ。
写真ステージ 「近江富士」
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写真の厳しさ

話があっちへ行ったりこっちへ行ったりして申し訳ない。写っている道路は川田大橋から竹生のリバーサイドタウンを巻くように進んできた新しい道。この道が、竹生口交差点から市三宅集落へ向かう旧北流跡の道路(細く左右に見える)にT字に交わるところ。右に見えている林が、撤去されずに残った堤防林。撮影現場は旧堤防の撤去跡ということになる。したがって住宅地の開発がなければ、おそらく見ることができなかった風景である。
さてその林から離れて立つ1本の杉の木。うっかり見ていた私は、最初電柱が立っているものと勘違いした。しかしよく見るとなんとなく雰囲気が違う。スギの木が途中で折れたものらしい。しかし拡大してみるとどうも切られたものらしい。折れたといえば、三上山のすぐ右の木(シュロの右)、これが折れたものらしい。切られようと折られようと、こうなってしまったらどちらでもいいのだろうが、一旦写真に記録されてしまったら、それが気になるのである。写真の厳しさ、これを大切にしていきたい。
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白い朝

教室の皆さんが撮ってくる写真が変わりだした。マンサク、ウメ、ネコヤナギ。守山、成人病センター前のカワヅサクラも満開だとか。春の色だ。そんな中でこの風景も春。JR琵琶湖線野洲川鉄橋、風景全体が白い。撮影は中山道野洲川橋南西畔。守山側と書けば分かりやすいのだが、口でしゃべるのはともかく、文章で書くのははばかられる。実はこの一部だけ右岸も左岸も野洲市だから話がややこしい。左岸(野洲市から見れば対岸)、守山市域にくっつくようにある野洲自動車教習所がその代表的な例。以上余談。
さて、ここに2枚の写真がある。1枚は大きなケヤキの木越しに見た三上山。もう1枚は2本の大木に挟まれた三上山。これら2枚、いや標題写真を含めるときょうの3枚はほとんど同じ場所からの撮影だということ。撮影者の私がいうのだから間違いはない。しかし、これから50年100年たったとき、何の説明もなしにいきなりこれらを見せられたら、それぞれが同じ場所だということが見極められるかどうか。
2本の木の方に鉄橋が写っている。その鉄橋は標題写真の鉄橋とよく似てはいるが、しっかり見れば全然別物。これが同じ野洲川鉄橋だと判断できるかどうか。そして大きなケヤキ、これはますます困難。ほとんど場所を示すものがない。わずかに下端、木の左と右に電柱の先端と碍子がわずかに見える。それが2本の木の写真に写っているものと同じものだということを見抜いてもらえば、ことは解決する。新旧鉄橋の見極めと山の形。できれば三上山以外の山が見えるといいのだが、標題写真ではまず駄目。難しい写真だ。
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麦畑

地蔵さん道路が国道8号「妙光寺」交差点にぶつかる少し手前を右側へ入ったところである。民家の庭の片隅に裸の木がいい雰囲気だった。それを寸景にお借りして緑の麦畑。民家と民家の間だったけど、結構広い畑に写った。データをPCで見て、こんなに広かったかなと首を傾げている。遠く、左端の白い建物が、バイパス工事の現場事務所(今は発掘作業かもしれないが)。黄色いパワーショベルが発掘作業現場。黒い土盛りがあって、その手前に杭が見える。そこがバイパス予定地の一番手前。おそらくこのあたりは高架で通過するのだろう。風景が変わる。
ところで、三上山の姿は、10日に見てもらった、三上あたりから見たのとほとんど同じに見えるが、この写真(三上からのもの)で手前に下ってくる登山尾根(日に当たっている尾根)が、標題写真では三上山の右斜面に伸びてきている。そして雌山がその奥に見えているという構図である。
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古墳のような

昨日の梅の花の場所から国道を越えて新幹線側へ戻ってきた。三上山を中心にして見た場合、200m余り右後ろね移動しただけである。これによって右側に雌山が見えて来た。きのう見てもらった登山尾根と雌山の線とが全く平行になっている。ここらがこの山の几帳面なところである。かつての地蔵さんの場所からは真正面に見えた例の倉庫が、ここからはやや斜めのアングルになる。目立つことは間違いないが、多少なりとも落ち着いて見えるから不思議である。
左の大きな木は、もう一つ奥に見える一見古墳のような森と同じ雰囲気の森の一部である。遠くから見ると同じような古墳が2つ並んでいるように見える。素人の判断であるから、古墳であるかどうかはわからない。盛り土があるような無いような。なお、ここから見るとバイパスはすぐ後ろをかすめて通ることになる。
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梅の花

国道1号「妙光寺」交差点。そこより三上山の方へもう1筋進んだところ。そこから妙光寺の御池の方へ入る道がある。その道のそばから。言い換えたら、国道と妙光寺山に挟まれたさして広くない集落内から三上山を見たことになる。使われていないビニールハウスの骨格の上で梅の花が見事だった。画面右に立っている棒は一見電柱に見えるが、実はそうではない。防火用ホースを干すためのポール。使ったホースをこれに吊るして干すのである。
さて一般的な話はここまでとして、私として気になることが一つ。山そのものの見え方である。たとえばもうちょっと南の三上あたりから見ると三上山は雄山(主峰)と雌山(右の低い山)とが並んで見える。手前の方へ下ってくる尾根(日が当たっている)が、三上からの登山尾根である。ところがきょうの標題写真はぐんと山に近づいて、それも左から見ていることになる。そのために標題写真では雌山は見えない。見えているのはこの写真の左半分ということになる。三上山はどこから見てもよく似た形をしているとよく言われる。1つのものが見えなくなると次のものが現れる。このチームワークが山の見え方を保っているのである。
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バイパス予定地

野洲市妙光寺、8号バイパス予定地。昨年の秋に発掘調査が行われていたところである。それも終了したらしく埋め戻されがらくたが積み上げられている。昨年の写真と今回の写真、両者ほとんど同じ場所から撮っているが、昨年の方が若干レンズが短かったようだ。右の林の方まで写っている。左、一番手前の白い建物が妙光寺交差点前のコンビニ。交差点そのものは建物の陰になって見えない。右、電柱の左を車が走っている通りが、行畑の地蔵さん前からやって来た新しい道路。
いまはこの道路の向こう側で発掘調査が行われている。見えている山が妙光寺山の裾。近江八幡から草津へ向かうとき、現国道は妙光寺山の裾を左へ曲がっていくが、バイパスはそこを直進し、新幹線に近づいて野洲川を渡る形になるとのこと。工事ニュースによると全線高架だとか。完成するとぐんと風景が縮まる。
発掘調査をもう1枚。こうして近づいても振り返る人もいない。集中しているのだろう。10年ほど前、自治会の役で一緒になったOさんも一時やっていたとか。あれは面白いですよ。病みつきになります。何か出てきたときには感激です。腰を悪くしてやめましたが。
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罪深い話

写っているのは川田大橋右岸畔から竹生交差点近くまでをつなぐ道路。新しく開かれたリバーサイドタウンへの進入路も兼ねている。そういう意味で出来上がってしまうと新しい住宅地をまくように走るイメージになるが、もう少し以前の地形を思い起こすと旧野洲川北流をほぼ直角に横断しているともいえる。ガードレールの外側、少し高い道路が新放水路の右岸堤防管理道路。住宅地が開発されるまでは画面右に見える堤防林が左端の竹藪まで続いていた。
あれはいつごろだったか、確か北流跡をレポートしていた時だったからもう5年ほども前の暑い時期だった。森の中から出てきた若い男性に声をかけられた。
「今度このあたりが住宅地になるというので、樹木の伐採が始まっている。この森にはカタツムリがたくさんいて、品種としても珍しいものだ。このままにしておくと全滅するので、どこかへ移動させてやるのだ」
と段ボールの箱を見せてくれた。何匹いたか勘定はしなかったが、とにかくかなりの数だった。どこへ運ぶかはきっちり聞かなかったが、確か石部のどこかの森だといっていた。その後一週間ほどして、またその男性に出会った。きのう見てもらった旧北流堤防跡の凸凹道だった。にこっと笑ったその手には同じ段ボール箱があった。このオトコ、本気やなと思った。カタツムリは石部で安住の地を見つけたのだろうか。
新住民はこういう話は知らない。私が住んでいる住宅地には、以前たくさん蛇が住んでいたという。「あの蛇はどこへ行ったのやろう」と近所の古老。罪深い話である。
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