20年前の話

きのうの続き、長楽寺近くの石部東寺(ひがしてら)の高みから見たところ。集落内の主要道路で、近くに自治会の集会所があり、勧請吊が道をまたいでいる。田んぼより一段高く、クルマが3,4台置けるぐらいの展望所風の広場がある。そこから撮った写真である。
大きな工場か倉庫か、大部分が陰になっている建物が横たわっている。普段はこの建物が邪魔で、何度かここでクルマを止めたが、写真を撮ったことはなかった。このときは手前の田んぼに雪が残り、巨大な建物は影に沈んで屋根の部分だけが細く輝いていた。
ここに1枚の写真がある。1996年4月というから、もう20年前の撮影である。このあたりの農道から撮ったという記憶しかない。桜は文句なしである。その中に見えるオレンジ色の屋根。しかしその手前はどうだ。大がかりな工事の手が入り、風景破壊が始まっている。もう2,3年前に出会いたかったと地団太を踏んだ。結局ここは初めてで最後の場所になった。その後どうなったかを確かめることもしなかった。
先日、広瀬川の上流を歩いて、巨大な建物の上に三上山が見えるのを発見した。例の桜の場所はここだったのだ。標題写真の関係部分を拡大すると稜線の重なりはほぼ一致する。2枚並べて表示。 今回撮った巨大な建物はは、漠然と桜の写真を思いだして撮っただけ、20年前の撮影現場はもう少し右だったことになる。
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箱庭のような

湖南市石部の広野川沿いを歩いた。石部東寺(ひがしでら)の長寿寺背後の阿星山山中から流れ出て市街地の東部で落合川に合流する川である。その河口から見た三上山(大きな菩提寺山の右後ろに見える)は1月10日(1月05日撮影)にアップした。下流側半分は5日に歩き、今回(26日)はその上流側である。野洲ではほとんど消えていた雪が、段々畑の日陰斜面ではまだどっさり残っていた。そん歩きの途中ふと振り返ると、2つ並んだ丘のあいだから、まるで箱庭の風景を見るように三上山がひょっこりと顔を出していた。
実はこの風景、ちょっと位置がずれるとこのように三上山の右に菩提寺山が並んで見える。標題写真では菩提寺山が右の小山の後ろに隠れてしまっている。撮影した時もこんなにきっちり隠れているとは思いもしなかった。隠したつもりはなかったのに、偶然隠れてしまっていた。不思議な風景である。
そして上り詰めた長寿寺山門の前、びっしりと雪が残っていた。
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ケリが驚く

烏丸半島。走っている黒いクルマの後方100mほどのところが水生植物園の駐車場。手前は小さな花壇がある広場で、ハスの時期には適当に車が置かれたりしていた場所。道路から見ると突き当りが高さ数mの草つきの斜面で、いつも上はどうなっているのかなと思っていた。今度行ってみて、そこを見ると幅10m足らずで草が刈り取られ地面が露出していた。上って振り返ったのが標題写真である。10mほど先からケリが2羽飛び出した。まさか人間が来るとは思っていなかったらしく、例の鋭い鳴き声を発して、飛び出してすぐ方向転換、三上山の上を通り過ぎていった。
私にとって、ケリは名前と姿・鳴き声が一致する数少ない鳥の一つである。10数年前、いまのように田や畑で見かけるようになる前の話である。野洲駅前にちょっとした空き地があり、草が生えたまま放置されていた。そこに足の長い鳥が住み着いた。地上にいると目立たないが、飛びあがると白と黒の羽がきれいだった。そして鋭いキキキという鳴き声。ちょうどそのころ、我が家へ鳥が好きだという人が訪ねてきた。駅前のその鳥の話をすると、「ケリでしょうな」。・・・・おかげで今では、夜空から聞こえてくる鳴き声にもその姿をイメージできる。名前も顔も忘れてしまったが、その人のおかげである。
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水面が広い

烏丸半島の先端である。水面が広い。昨年ハスが消えて大騒ぎになった。ハスが枯れたあとは、いまの季節になると、ミロの版画に見るような枯れた茎と葉っぱの抽象画が見られたが、今はきれいさっぱり水面は空を映すだけ。ハスは湾の内部から広がったから、消える直前半島の先端部のこのあたりまで広がっていたか、私の写真では記録がない。たとえばこの写真、2009年2月の撮影である。もう7,8年前ということになるが、ミロの版画は見えない。鳥が遊んでいるだけだ。
その鳥はどこへ行ったのか。ここは去年、オオバナミズキンバイが咲いていたところ。「調査中、触らないでください」と張り紙があった。鳥はそんなことは知らない。今それが枯れた後、鳥の遊び場になっている。もう1枚おまけ。
対岸のポプラは、湖岸道路の山賀パーキングのものである。今の写真を昔に合わせてトリミングしてみた。細かく見ると結構変わっている。すべてのものが変わっていく。
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鳥がいない

草津・平湖である。きょうはちょっと離れた湖岸道路へ行ってみた。道路を越えて琵琶湖を往復する鳥もいて、それを狙ってやろうとの思いもあった。湖岸の桜は葉を落としているから見通しはよい。しかしなんとなくイメージが違う。湖面で動くものがいない。みずうみ全体が静かなのである。湖岸道路から平湖の湖岸までは60mほど。一羽一羽はともかくとして群れをなした状態では必ず見えるはずである。鳥がいないのである。いや、いないといえばウソになる。しかしいるとはいえない。たとえばアップしてもこんな調子である。
いるじゃないかといわれるかもしれない。しかし平湖に鳥がいるという状態はこんなものではなかった。たとえば2011年4月12日撮影、4月でもこんな調子だった。知人の撮影では、これの数倍ぐらい、大げさに言えば湖面が見えないぐらいの状態の写真を見たことがある。いつもコハクチョウがやってくる志那町の琵琶畔でも、今年はさっぱりだと聞く。何かが変わっているのではないか。
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二重ピーク

きょう(26日)は快晴になるらしいけれど、もう1枚雪の写真を。きのうの場所から300m足らず左へ寄った。我が家の横の通りをそのまま三上山の方へ進む。新幹線をくぐって三上の農地を突き抜けて集落の入り口へさしかかったところである。普通の天気の日だと、電柱が何本も立っていて写真にならないところだけれど、雪になると不思議にそれが目立たなくなる。
ピークの右下にもう一つ小さなピークが見える。三上からの登山道に絡むところだが、実際に登ってそれが実感できるのかどうか。長く登っていない私には詳しい記憶がない。毎日のように登っているわいわい教室のMさんやSさんには手にとるようにわかるのだろうが。そんなことで、私には下からの写真でしかものがいえないのだが、昨日のアップ写真では頂上のピークの手前に重なっていた小ピークが、カメラが300m左へ移動したことで逆に右へずれたことになる。もちろんこれだけのずれだから、天気のいい日でも光線状態がよければ見える。それに出くわすことが簡単ではないということである。
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二度目の雪

二度目の雪である。鳥取県では車の立ち往生で大変な事態とか。新聞によると県北部でもマキノ町在原で154cmとある。当地でも23日(月)の朝からちらつき始め、午後のわいわいⅠ教室を心配したが、遠方からの2名以外は全員出席、しかし終了直後から本格的な降りとなる。
標題写真は一夜明けた午前11時ごろ。場所は三上・定点の一つ、県道504号、野洲川河川公園バス停近くの十字路。雪をかぶると山の細部がしっかり見えるようになる。右斜面の二重稜線がはっきり見える。外へ膨れている線が南桜へ下るお南尾根。次の黒い尾根が雌山へ下る鼻筋尾根。もう1本、手前へ下ってくる岩場が三上からの登山道に当たる西尾根。山頂部をアップ。ついでにもう1枚。2013年01月18日撮影。
ちょっと移動するのに県道の歩道を歩いた。クルマが勢いよく通り過ぎる。あっと思ったときには遅かった。カメラのレンズに水しぶきが。不覚だった。起こってしまったことは仕方がない。どないなるかと撮った1枚。こないなりました。面倒くさくてもキャップは必須。注意せなあきまへんな。
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防災広場

草津川と金勝川との合流点から国道1号まで、新しい草津川の堤防を歩いてみようと家を出た。北には暗雲がただよっていたが、南の方は明るかったので思い切って家を出たが、現場へ着いたときには金勝山の方に雪霞がかかっていた。ここは両川の合流点。光が乏しく陰影がないのでわかりにくいが、左から来るのが金勝川、右側正面奥から来るのが草津川である。残念ながらここからは三上山は見えない。
さてきょうのルートはと振り向いて、いま立っている堤防上の道からT字型に分かれた道がぐんとせり上っているのに気がついた。これは見えるかもしれないと上ってみた。広場があってその向こうに三上山が見えた。それが標題写真である。こんなところにこんな広場が、見れば防災広場の銘がある。なるほどそういうことか。ここが旧草津川跡なのだ。現役のころ30数年間毎日その下をトンネルでくぐっていながら、上流のことは何も知らなかった、いや知ろうとしなかった。ここが草津川跡だとすれば、上流から下流に向けてまっすぐ流れ下る草津川のどてっ腹へ金勝川がT字型に突っ込んでいたことになる。今は写真のようにY字型に改良されているが。
草津川も金勝川もいわゆる天井川だが、そのルートを付け替える場合、ただ単に堤防で川を締め切ってつなぎ直しただけではダメで、流れの向きに川幅の2,3倍の間に、川幅いっぱいに堤防の高さまで土を盛らなければならないのだという。専門用語では、これを「側帯部」というのだそうな。旧野洲川の市三宅や笠原にその側帯部が見られる。川を締め切るためにどうしても必要な側帯部を「防災広場」として利用しているということだ。標題写真は旧草津川の左岸堤防上から、川と直角方向を向いて撮ったことになる。もちろん現役時代の川は右から左に向けて流れていたはずである。
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