未解決

8月08日の標題写真は、8号バイパスの工事記録として撮ったものである。それがいつの間にか松の木写真のアリバイの話になってしまった。で、きのう(8月14日)の標題写真を撮ったのだが、どうも妙光寺山との境の丸い稜線が松の木写真に比べると小さく感じる。それともう一つ気になるのが、松の木写真に見える高圧線鉄塔。右の方で松の木に隠している。写真のオーソドックスな手として、障害物は何とかして隠そうとする。それが今となってはアリバイ造りの邪魔をする。
きのうの標題写真では鉄塔尾は右斜面の凹んだところに重なっている。松の木写真でこの凹んだところが見えると話は早いのだが、これがあいまいである。しかし鉄塔は少なくとも凹んだところより左のようである。面倒くさいことを省いて結論だけ言うと、1つは昨日の場所よりさらに右へ寄ること。もう1つは可能な限りバックすること。そのうち右に寄ったのが今日の標題写真、円形部はいくらか大きくなるようである。バックしたのがこの写真。さいわいその場所がT字路だったのでバックできたのだが、丸い稜線は小さいままだった。
結局松の木写真の撮影場所は、近くまで行ってはいるのだが、ここだという決定打が出ない。結局はこの辺りとしかいようがない。しょうもない話でごめんなさい。
写真ステージ 「近江富士」
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もう一度松の木を

8月08日の標題写真とそのときに見てもらった1982年の松の木の写真を見ながら考えて見よう。前回も指摘しておいたが、問題は三上山の左、妙光寺山との間の丸い稜線である。これはすぐに見つかる。たとえばもう少し右から見た写真、これだと両山の間の稜線が広く見える。例の円弧はこの稜線の右半分である。妙光寺山で左の部分を隠せばよい。
ということでその場所を探した。ようするに三上山に対して左へ動けばいいのである。その結果が標題写真。新しくできた住宅地と農地との境の道路。前回の撮影地はこの道のくっと曲がったところだった。そこを基準にすると、今回の場所は50mほど右へ寄ったところである。で、一件落着と行きたいところだが、世の中はそんなに甘くはない。以下明日。
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公園無人

きのうの仰木の写真を撮った後、雄琴のかざみ公園へ寄ってみた。琵琶湖はますます冥く、もし夕方でこの暗さなら対岸の灯がともるのではないかと思わせた。霧雨が降ったり止んだり、三上山がモヤの中に見えたり隠れたりを繰り返す。さすがこんな天候に訪れる人もなくあたりはひっそりと静まり返っていた。
うしろに風見公園の語源になったあずま屋が建つ。長崎のグラバー邸のテラスを思わすをしゃれた休憩所で、テッペンに風見鶏がついている。建ったころにはこれは写真になると張り切ったが、実際に撮ってみると難しかった。公園内の距離が足りないのである。そんなことできょうは内側からと考えたが、建ってから何年たったのか、腰板部の柵が2,3本歯抜けになっていた。
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一陣の風

厄介なのろのろ台風。一夜明けてもまだ金沢だとか能登半島だとか。細かい雨が残り三上山は見えない。時折思いだしたような風が吹いていた。シャッターが降りた小屋、前のちょっとした空き地にクルマを止めて、雨が止むのを待っていた。と、軽トラがやってきて、男性が降りてきた。これは悪いことをしたな、それより先に男性は不思議そうな顔をして「どちらさんですか」。
ここで写真を…というまでもなく、相手は事情を察したらしく、「ああいいですよ、台風でどないなっているかを見に来ただけやから」と一回りして、またブイーンと行ってしまった。あとになって考えると、誰か知らんやつが自分を尋ねて小屋へやってきて、シャッターが閉まっているから途方に暮れていると思ったらしい。まじまじと顔を見て、相手が見ず知らずのオジイだと分かってすぐ意味を察したのだろう。
雨はいつの間にかやんでいた。一陣の風がイネの上を走る。琵琶湖はまだ冥い。
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残った桜

すでに何度もレポートしてきた三上の祠のそばにあった桜の木、いまは細い小川のそばに残されている。きれいな山桜でいまから30年ほど前だったろうか。ときどき吹き来る風に花吹雪が飛び来るのに出会った。もちろんフィルム時代、カメラにはASA100(ISO100)のフィルムが入っていた。風が吹くのを待って何度かシャッターを切った。いまと違って結果をその場で見ることはできない。現像が上がってきたフィルムには画面一面にごみが散らばっていた。花びらが流れて写るのを想定したが、全部止まって写っていた。明るかった春の日、スローシャッターが切れなかったのである。
2年ほど前、祠も垣根も取り払われこの木だけが残された。木はツルにまかれて弱っていた。復活を期待した。去年はちらほらと花が咲いた。しかし、今年の春は全く駄目だった。いつかこの木も切り取られるのではないか。そんな予感がする。切り取られる前の1枚。いわゆる定位置から撮りたかったが、イネが実りかけたこの時期、畦道に入るのは躊躇した。もう1枚、これも定位置ではない。いつもより後方の道路からである。
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位置のアリバイ

通りがかりの民家の庭先に咲いていたヒマワリ、これはこれだけの写真である。かりにこれが40年、50年先まで残ったとしても、ヒマワリと三上山ということだけで、どこで撮られたのかが問題になることはない。ヒマワリは1年ぽっきりのもの。それが来年もそこに咲くという保証はない。そればかりか1年も経てば去年そこにヒマワリが咲いていたことすら忘れてしまう。
ところがこのあいだから問題にしている松の木の写真はやはり気になる。これは人々の心に残る。ローアングルにして、刈り取られた田んぼの上で、半分寝っころばるようにして撮ったときの記憶まで残っている。私が位置のアリバイにこだわる理由である。
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単なる記録

これぞ単純、アホみたいな記録写真である。場所は国道8号・妙光寺交差点、例の地蔵さん道路と国道との交差点、その西側角である。いまこのような更地になっている。その前がどうなっていたのかとんと記憶がない。なんとなくトラックが止まっていたような気がするだけだ。いつかどなたかが、ないことを証明するのは”悪魔の証明”というとのたもうた。こうなってしまうと、以前はどうだったか全く分からなくなる。
カメラのすぐ後ろがバイパス予定地で、言ってみればこのあたりは2本の道路に挟まれた島になる。大きく変化することは間違いない。そんな意味の記録のつもりで撮ってきたのだが、よく見るときのう見てもらった1982年1月の写真と絡んでいた。松の木の左、三上山と妙光寺山とのあいだに見える凸レンズを真横からみたように見える部分、これが標題写真の左、電車のような建物の上に見る。ここへ妙光寺山の裾が左から重なってくるとOKということになる。その場所が何ものにも邪魔されずに見つかるかどうか。
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松の木があった

野洲市行畑、新幹線の山側に新しくできた住宅地の農地との境から見たところ。ブルーのネットをかぶった中でバイパス工事中。何をやっているかは分からない。市の広報などによると、近江八幡あたりからやってきた8号が、野洲駅口交差点を過ぎたあたりから、妙光寺山・三上山の裾に沿うように大きく左へ曲がりだす。そのあたりでバイパスは逆に右へ分かれて新幹線の方へ寄る予定だとか。全線高架というから、このあたりでは高架への勾配を登り始めるあたりになるのだろうか。
ところでアリバイのない写真が1枚。『近江富士百景』に収録したもの。撮影は1982年1月。なんでもいまの地蔵さん通りの前身、クルマ1台がやっとの細い道を走って国道へ出る前のあたり。ちょうどこのあたりでの撮影であることは確かなのだが、写っている松の木も、畑の段差もすべてがなくなった。山の稜線を読むしか仕方がないのだが。昔の写真には、左端、三上山の裾と妙光寺山との間に少し丸さが見える。標題写真にはそれがない。もう少し右へ寄ったあたりらしい。バイパスができたらこの同定もできなくなる。
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