先端部だけ

野洲市高木地区の墓地に立つ大きな木。三上山を撮りだしてすぐのころ、この木が気になった。当時はバイクで走っていたので、細かい道も自由に走れた。あれこれとひねくり回したが、結局、写真は残らなかった。いまになって見れば、墓地がどんな状況だったかほとんど記憶がない。ここは撮れないと思い込んだのだろう、自然と足が遠のいた。
墓地はきれいに整備されていた。平成10何年建立の墓標が整然と並ぶ。そこから見た三上山。田中山の一峰、ハタフリ山の上にちょこんと先端部だけを見せる。30数年前。私も若かった。この姿に満足できなかったのだろう。
写真ステージ 「近江富士」
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左へ出た山

さらにその道を進む。山は左へ動く。三上山は田中山の左へ出る。北村交差点を歩きだした時にイメージしたのはこの形だった。直線距離で東へ1,2Kmほど移動したことになる。実際にはZ字型に歩いたので、2倍ぐらいの距離になる。ビニールハウスの向こうに高木池のフェンスも張り出してくる。標題写真はこの高木池のフェンスの上へ手を伸ばしてバリアングルファインダーで撮ったものである。フェンスが高いのと、その方向から、完全に外すことはできなかった。
三上山を撮りだしたころ、2,3度ここへ来たことがある。フィルムを探せば残っているかもしれないが。そこでどんな写真を撮ったのか。忘れているということはまともなものではなかったのだろう。そのころはこのような山の組み合わせに興味はなかったというこだったのかもしれない。
山とは別に池の近くに白壁土蔵が2棟並ぶのを見て、遠い昔の記憶がよみがえった。あの2棟の蔵はどこだったかと思い返しながら、場所が分からなかったものだった。
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背伸びした山

高木橋で家棟川の右岸へ出た。川の制約がなくなった。前後左右、農道を歩くことが可能になった。きょうの場所は、高木橋に続く道を直進し、1本目の農道を右へ曲がったところ。三上山は田中山の双耳峰の間へ戻ってきた。9月10日の標題写真と同じ並びだが、遠ざかった分三上山が大きく顔を出している。
在来線の下り電車がやってきた。山の並びはほとんど変わらないが、線路からはずいぶん離れたから電車は小さくなっている。車体が光る線になる。その中でひときわ明るく反射する点。これは太陽との関係だから動かない。いまでいうと、最高部から3分の1ぐらいの編成の境目あたり。それを電車のどのあたりに置こうかと考えているときに左のビニールハウスの陰から新幹線が現れた。これは速い。またたくまに距離を詰める。在来線の最後尾と、新幹線の先頭車がともに光るタイミングをと考えたが、新幹線はこれ以上光らなかった。どこかに微妙なずれがあるらしい。
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後戻りした山

きのうの続きである。もっと左へ行きたいのだが、家棟川にぶつかってどうしようもない。もちろん橋はない。ちょっとでも遠くへと堤防を下ることにする。草刈りの直後だったらしく楽に歩ける。ありがたかった。標題写真は高木橋の近くから。大きく言えば遠ざかると同時に右へバックしたことになる。昨日の写真よりは三上山が少し大きくなっている。
障子を立てたように見えるものはビニールハウスの出入り口である。壁面が外され出入り口だけが光っている。初めて見たときは何かと驚いたものだ。橋を渡って対岸から見ると、このように射撃練習用の的が並んだようにも見える。
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動かなかった山

誰が見ても電車の写真、三上山はないぞと首を傾げるはず。導入部がないとこの写真は成り立たない。
県道2号が家棟川をまたぐ少し南に、”北村”という感応式の信号がある。ここから見る三上山は田中山と妙光寺山の重なりの奥から上半身だけを見せている。野洲図書館前、新幹線と在来線の間の農地から見たのと同じ構図である。何気なく撮ったのだが、県道に直交する細い道を在来線にぶつかるまで歩いてみようかと思った。
少し行くと朝鮮人街道に近づく。田中山の左奥に菩提寺山、さらにその奥に阿星山が見える。すぐに朝鮮人街道と交差。江戸時代に朝鮮通信使が通ったことからこの名がある。三上山は田中山に近づく。ここまでは経験済み。このあと三上山がどこまで動くかである。あわよくば田中山の左へ出てこないかと期待する。左に見えている跨線橋が右へ動いて、三上山が田中山の左へ回ってくると面白いのだが。
結果、手前にある跨線橋はぐんぐん動いて画面右外へ去り、遠くの三上山は思ったほど動かず、まだ余裕があると思った道は家棟川にぶつかて終わってしまった。結局、田中山の双耳峰の間からテッペンだけをのぞかせてお茶をにごした次第。といって電車の写真になるわけでもないし、どないしても無理ですな。
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屋根と並んで

実はいま、湖南市の荒川沿いを歩いている。きのうの荒川河口もその副産物というわけ。きょうは副産物その2。河口から上流へ350mほどのところでJR草津線とクロスする。そこの踏切から振り返ると遠く屋根の向こうに三上山が見えた。高いビルは三雲西交差点近くの「まるなかビル」だが、それ以外は日本家屋。右側の数軒を除くと、ほとんどが遠く低い。こちらがそこそこ高い位置にいるということである。350mほどの間に結構上ってきたことになる。
左側に電車を入れたらといわれそうだが、実はいま電車が通り過ぎたところ。この踏切のすぐ下流側に旧東海道が通っており、歩行者専用の橋がかかっている。現在、新しい橋の架替え工事が進んでいる。その橋の上から見てこの踏切の風情がよかったので、そこで電車を待った。そしてここへやって来たというわけ。ここでまたもう1本待つのはつらい。こんな風景があるとは夢にも思っていなかったので、電車の時刻も調べてこなかった。きょうはあきらめよう。振り返ると、烏が岳の涅槃像、ビール腹がどーんとでかかった。
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荒川河口から

湖南市三雲、荒川の河口である。写っている川は野洲川。荒川は、飯道山(664m)・大納言(596m)北面谷筋の水を集めて流れ下る。流れが急で河口に至っても濁りはない。しかしこれは別の問題で、いまの風景とは何の関係もない。標題写真はその荒川の河口左岸から見たもので、奥に見える橋が新生橋である。すぐ目の前に落差工がある。先ほどまでエサを探していたシラサギが飛び立っていった。
以前、横田橋からの帰りに、ここへ寄ったがまともなものは撮れなかった記憶がある。どこか変わったのかも知れない。何か残っていないかと古いデータを探してみたが無駄だった。当り前である。撮れなかった記録が残っているはずはない。以前来たのはここではなかったのかもしれない。記憶を掘り起こすためには、横田橋からしらみつぶしに歩いてみるしか仕方がない。
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田中山が左へ

錦織寺裏へ行ってみたが、ここも大豆畑だった。不思議なことに今年の秋は頭に浮かぶところは全部大豆畑。そのまま通過して、比留田の入り口へ。途中やはり濃い緑が目立ったが、現場は黄金のイネ。高いところからだと色が混ざるが平地に立つと奥が見えない。
三上山の左、少しだけ平らな稜線が見えて、ぼこんとふくれた山が見える。これが田中山。近江八幡の加茂町あたりからは、ラクダのコブのように見えた山で、三上山の右に見えていた。この山は見る場所によって大きく姿を変える。今は左が尖り右が丸く見える。三上山を基準としてみると、この山が姿を変えながら左右に動く。これを見極めることによって自分がおよそ今どのあたりにいるか判断することができる。
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