本日も快晴

本日も快晴。やっぱり気になるので。日付、時刻を改めてセットしなおして・・・。
7時23分。斜面の中ほどが点々と光る。7時25分。ほんの少し右上へ移動してチカット光る。7時26分。木の間越しが大きくなって、外辺が輝きだす。7時26分。外辺が輝きが徐々に大きくなる。7時27分。木の間越しを残して外辺経の光が輝く(標題写真)。もう1枚おまけ。光がぼたっとして魅力がなくなる。これはつけたし。
昨日に比べて、色が白くなった。冬型が強くなると白くなるようである。何度か書いたが、このシリーズに色調に関しては撮影したままのデータをアップしている。
写真ステージ 「近江富士」
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大失敗

朝起きだして見たときには視界の半分以上が雲に覆われていた。ひょっとしてと覗いたのが7時20分。きれいに晴れ上がっている。しめしめとカメラを取り出して。最初に現れた変化がこれ。画面左端に点々と小さな光が見える。木の間からの光である。画面としては非常識な場所だけど、最初から同じサイズでやってきたので、変えるわけにはいかない。さてこれが何時だったかと、プロパティーを読んでも時刻が出てこない。おかしいなとカメラを見ると、「日時を入力してください」。しまった!。今使っているカメラは充電するときに長時間放置しておくとこの状態になる。それを正しておかなかったのは自分の失敗。で、きょうは時刻抜き。記録としての意味が半減。
ちょっと時間が進んで、斜面ぎりぎりのところに小さな十字。葉っぱと葉っぱの間らしい。そのあと十字が「キ」の字になる。そして斜面の端に出てくる。標題写真はこの直後のもの。一応これがきょうの日の出としよう。光芒が大きくなる。木の間の光が見えているから、半分ぐらいが顔を出したところか。まぶしくてファインダーを覗くのがつらいぐらい。完全に離れたところだろう。
2月4日から始めた日の出の写真。記録の意味もあるから、すべて撮ったままのものを使った。一切調整なし。大きく分けて8日までと、9日以降で写真の色が変わっている。空気の状態が変わったということだろう。
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比良の雪

甲西橋から。比良の雪は今回のものではない。撮影は1月11日、その1日、2日前に降ったものであろう。もう1枚、これは何度も見てもらっているので、またかということになるが、このときの雪はすごかったなと思う。撮影が1978(昭和53)年1月4日。今回の雪はうっかりしてチャンスを逃して記録はないが、このとき(40年前)ほどのものではなかったように思う。
雪の降り方は自然現象で、これは一概には言えないが、いずれにしても40年前となると周囲の風景が全く変わってしまっている。橋ができた学校ができた、やれ病院だバイパスだと大騒ぎしているが、もう一つ、私自身つい最近まで気がつかなかったことがもう1つある。いつのまにか撮影地点の下流に落差工ができて、流れの表情が変わっていたのである。下流の橋の手前に水面が定規で線を引いたように一直線にスパッと切り取られたように見えるところである。
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南善坊から

福井での大雪が始まってから、比良山の雪が鮮やかである。去年から気になっている坂本・南善坊のパノラマ展望板の撮りなおしに通っている。きょうは絶対大丈夫だと行ってみると、さほどではない。鈴鹿の山など何とか見えるが、これでは話にならない。毎回こんなはずじゃなかったと頭を傾げている。
琵琶湖の東から見ると比良の雪は本当に見事に見える。しかし冷静になって見直してみると、これは白なるがゆえの見え方らしい。たとえばそこから左の方比叡山に続く山なみはべちゃっとして、平面的に見える。本当に空気がクリアーな時は谷筋のニュアンスが見える。どうやら比良山の雪にごまかされていたらしい。
◆けさの日の出(2月9日)。何が起こるか分からないからと、7時20分からスタンバイ。木の間からの光が見えたのが7時34分。これは注意してみなければ見逃してしまう。7時36分。例の欠け込みのすぐ左。天気予報では明日は怪しいらしい。
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カモメとお遊び

もう一度堅田へ戻って、浜沿いの道を浮見堂のほうから北へ向かう。キムチ屋さんの駐車場(画面左外・見えている浜は城山三郎の文学碑があるところ)を越えたところで、細い路地に気がついた。様子をうかがうとどうやら公道らしい。
通り抜けて浜へ出た。ユリカモメが浮いている。カモなんかだとワーッと逃げ出すのに、知らん顔をしている。というよりこちらの様子をうかがっている。こいつらやな、いつもカッパエビセンをもらっているヤツは。近づくと敵もさるもの。さっと寄ってくる。ふところ不如意と見ればあとは知らん顔。2,3羽が芸を見せてくれたが、まともにファインダーに入ってきたのは1羽だけだった。
◆またまた本日も晴天なり(2月8日)。左側へ回ったから、多少は早くなるだろう。念のためにと7時25分に確かめる。左下に雲があっていまにも顔を出しそうに見えて慌てた。ここからが長かったが、やっと7時36分。電柱のすぐ左のV字欠け込みまで来た。木の隙間が結構見える。7時37分。光が強くなる。7時38分。これでだめ押し。ところで、明日は左斜面のどこから昇るのだろう。
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我家からの立春

冬型が強まるという。毎日ずっと快晴で来たが、さて今日は。ちょっと雲がある。左側へ出てくるのだから何が起こるかわからんということで、早めにスタンバイした。
7時30分。太陽の近くに雲がある。いまにも顔を出すような雰囲気である。肉眼ではなにも感じなかったが、雲の少し右に赤い光がうっすらと見える。この下に太陽があるらしい。7時35分。電柱の左に見える割れ込みから出そうな気もする。7時38分。電柱の左の木の間から。7時39分。木の間の光が強くなる。 7時40分。山頂からの光が強くなる。かくして我が家からの立春の光。よくぞ晴れてくれました。
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石標の怪

旧堅田港をもう1枚。桟橋への入り口に建っている石標である。”すく”は、”すぐ”なのだろう。このように濁点を省略する手はよくある。そういえばかつての日本陸軍の文章などもこれだった。しかし後の字は読めない。情けない。”北国街道”だという。”すぐ”というのだからまっすぐ進めばいいのだろうが、先は琵琶湖だ。若いときだったらびっくりしたが、やっとこのトシになって、石標は動かされるものだということが分かってきた。あとの面は、たとえば桟橋から上がってきた人が見る面には”左かたた舟わたし”とある。平和堂から出てきたのに、”左平和堂”の石標を見るようなものである。
かつてはここからそう遠くない四辻に立てられていたのだろう。たとえば北国街道から里道を湖岸へ出て、北から南に向かう人には、左へ曲がれば”舟わたし”(堅田港)。琵琶湖へ向かってきた人には右へ行けば坂本・大津ということだったのだろう。道標には足がついている。
◆本日も晴天なり(2月6日)。電柱のすぐ右まで来た。明日天気やったらこれで決まりやなと思った。ところが世の中はそう簡単ではない。木と木の間から太陽が見えている勘定だ。もうちょっと時間が経つと(たかだか10数秒だけど)、こんなことになった。物事は、やってみなければ分からない。
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灯台の怪

堅田港である。堅田漁港ではない。漁港の南はずれにある小さな港で、地図で見ると槍の先を思わすようなまっすぐに伸びた桟橋が見える。観光船用に使われていたらしいが、いまは使われている様子はない。そういう意味では旧堅田港というべきか。細い河口が港になったようなところで、湖岸沿いを走る道もそこだけは枡形のように折れ曲がっている。
これは陸地の最先端。そこから桟橋につながっているというぎりぎりのところで柵にくっつくようにして撮った。場所ははっきりしている。GoogleMapで撮影場所をクリックすると、その場所と三上山を赤い直線がつながるようにセットしている。その直線と写真に写った風景とを見比べることで、撮影場所の勘違いなども確かめられる。いま文を書きながら、地図でその作業をやろうとしたのだが、灯台が立つ突堤がないのである。そんなはずはない、場所ははっきりしている。どう考えても間違いはない。ひょっとしてと、地図を航空写真に切り替えると、ちゃんと写ってました。地図にはその部分が欠落していたというわけである。
◆三上山のてっぺんから太陽が昇るのは何日でしょう。2月4日、2月5日。両方並べて見る。電柱のすぐ左から出る日です。当日の晴天を祈っています。
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