映る・晴天版

10月5日に紹介したPetit PLACEの窓に映る三上山。前回は曇天だったので、晴天だとどう映るのかもう一度行ってみた。ガラスに映る姿そのものは大差なさそうである。ガラスがスモークがかっているからだろう。それよりも、それ以外の写り方。たとえば植え込みの木など。当然晴天だとコントラストがアップする。その分だけ写真が騒がしくなる。
撮影地点で回れ右をして見た三上山である。これを意識してみると、民家や電柱がが写っている。「ガラスに映る三上山」を眼目とすれば曇天のほうが有利だとするべきか。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
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竹生口交差点

定点撮影をしている竹生口交差点である。旧野洲川北流の堤防上から見たところ。小さく赤信号がともっている現在の交差点が画面右奥へ移動する。その新しい道路が手前に見える。このあたりは前回と大差ないが、画面右奥では新交差点の工事が進行中である。
新交差点スナップ。画面左端で、軽が走っているのが現在の道路。もう1枚。新し道路の歩道が新交差点に向かってくる。立入禁止の看板のすぐ右を走る白い車が現在の道路。
写真ステージ 「近江富士」
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ケヤキの木

若桜物語にうつつを抜かしている間に季節は進んで、早くも木枯らし1号が吹いたとか。
旧野洲川北流の河川敷内に生えていたケヤキの木。樹木が密集していた中で、上へ伸びることが生命を維持することだったのだろう。周囲の木が伐採された中で、数本の木だけが残された。これらの木もいつ伐られるかとびくびくしていたが、いまのところその気配はない。どうやらこのまま残ってい行くようである。
これは新しく開発された住宅地から見たところ。ほとんどの木がこのように枝を伸ばし始めているが住宅地から見て右端の2本だけが枝を伸ばす気配がない。このまま枯れていくのかもしれないが、写真としてはこの葉がない状態が都合がよいのだから意地の悪いものである。交差点付け替え工事で新規敷設された道路から見たケヤキ群(右端)。
写真ステージ 「近江富士」
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若桜物語(終)

役行者が断崖絶壁の岩窟にお堂のミニチュアを投げ入れたのがそもそもの始まりだとか。「県民の建物100選/不動院岩屋堂」とある標識のそばに、案内板があって、・・・・不動院岩屋堂は間口約7m、奥行き約10m、高さ約13mの天然の岩窟内にある投げ入れ堂方式の建造物である。正面3間(5.4m)、側面4間(7.1m)で屋根は前方が入母屋造りで、後方は切妻作り、床下は舞台造りとなっている。この建物は、昭和28年、国の重要文化財の指定を受け、昭和32年、復元工事を完了した・・・・・とある。
国の重要文化財の件については、納得するもしないもないが、気になるのは天然の岩窟云々の件、ホンマやろかと思う。間口より奥行きのほうが深い洞窟が海岸沿いにならともかく山の中で自然の力だけでできるものだろうか。どう見ても岩窟の端々に、つるはしやノミの跡が残っているような気がして仕方がないのだが。
と、多少の疑問を感じつつも、偶然だったとはいえいいものに出会ったというほのぼのとした思いで赤い橋を後にしたのだった。
写真ステージ 「近江富士」
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若桜物語・13

国道29号は八東川に沿って遡る。30分近く走ったところで、「吉川川」が合流してくる。水のきれいな気持ちのいい川である。国道から分かれてすぐ朱色の新しい橋が見えてくる(写真はクルマから下りで上流側から見返したところ)。あれまあ、こんなところにきれいな橋が・・・・、と、見とれていると「あれや!」と対岸を指さしたシャチョウがすっとんきょうな声を上げる。見れば確かに杉の木立に囲まれてまごうことなきなき投入堂。橋のたもとの自治会館らしい建物の前に3,4台の駐車スペースがある。300mほど上流に専用駐車場があるとの掲示があったが、どこを見ても無人なのでまエエか。
橋には「岩屋堂神社橋」との名標があって、最近かけ替えられたものらしい。それを渡ると「不動院岩屋堂」の立派な石標が建っている。それと投げ入れ堂とを一緒にとだいぶ頑張ったが、太陽が真正面過ぎてどうにもならなかった。
きのう、登山口からの案内がないとぼやいたが、クルマを降りて橋を渡ればそこにあるのだから、パンフレットの編集者にも書きようがなかったのだろう。世の中は難しいものである。まあしかし「駐車場から300m、橋を渡ってすぐ」とでも書いておけば、訪れる人ももっと増えるのではないか。
写真ステージ 「近江富士」
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若桜物語・12

道の駅へ帰り着いて、クルマに置いておいたパンフレットを見直した。蒸気機関車C12も見た。蔵も見た。表紙のスケッチでもうひとつ投入堂が残っている。不動院岩屋堂といって日本三大投入堂の1つだという(ちなみに他の2つは鳥取県東伯郡・三徳寺、大分県宇佐郡・龍岩寺)。大分のはともかくとして三徳寺は写真等でよく目にする、最初はそれかと思たがそうではないらしい。もしそんなお堂が若桜町にあるのならぜひ見ていきたい。
地図を見ると若桜から南東に伸びる国道29号沿いの山中にあって、若桜駅から車で5分とある。地図の感覚からしてこの「5分」は眉唾物だと思ったが(事実、走ってみて30分前後はかかった)、問題は、車を降りてからそのお堂までどれぐらいの距離があるのか何も記載されていない。登山口まではクルマで行けるとしても、そこから30分も1時間もかかるならば、滋賀までの帰りの時間を考えるとちょっと無理だ。いくか行かないか考えたが、まあとにかく行ってみよう。
*投入堂:その昔、役行者が山中でお堂をつくり、法力でお堂を手のひらに乗るほどに小さくし、断崖絶壁にある岩窟に投入れた。このことから「投入堂」と呼ばれるようになったという。
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若桜物語・11

「伊勢道の道標」だという。こんなところに伊勢を目指した道標がある、ホンマかいなと思う。そばに立つ案内標には「この伊勢道の道標は、お伊勢まいりの信仰の道しるべとしてつくられたもので「従是ひだりハいせみち、みぎハは里まみち」と刻まれている…云々」とある。後半がわかりにくいが、地理的なことを考えて「右は播磨道」だろう。
実際に歩いたのはもう3週間も前で、記憶が怪しくなってきている。さてこの道標の正しい位置はどこだったか。標題写真の前のコマにこんな写真がある。仮屋通に蔵通りが鋭角に合流してくるところで、画面左外が仮屋通である。写真左上を拡大すると「伊勢道の道標みぎ20m」の文字が読める。道標の位置を道標が教える、けったいな話だが、それは置いておいて「右20m」の情報である。すぐそこである。どこを見てもそんなものは見えない。
と、こんなことを書いているうちに少しずつ記憶が戻ってきた。すくなくともここから目に見える20mの範囲に道標はない。「なんやこんな所にあったのか」と思った記憶があるから、すくなくとも仮屋通や蔵通りではなかったはず。もう一度先ほどの写真を拡大してみると、蔵通りが曲がってくるところに「トマレ」の道路標示が見える。これや。だらだら坂を下った記憶がある。そこからたしか20mほどだった。先ほどの道標の道標はこの十字路にる立てるように計算されたものだった。それが何らかの都合で現在の位置に立てられた。と考えるとつじつまが合う。それならそれで距離は修正しておかなあかんわな。ちなみに道標の道標からホンマの道標までの距離は70mほどである。
写真ステージ 「近江富士」
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若桜物語・10

「蔵通り・寺通り」も終わりに近くなった。事務員さんと、オジサンに出会った以外、人には出会わない。と、そこへ猫が飛び出してきた(標題写真)。「猫の子一匹いない」という言葉があるが、猫はいた。しかし人はいない。
この「蔵通り・寺通り」はメインの仮屋通りとほぼ平行に走っている。ところどころに両者をつなぐ小路があったり、空き地があったりして意外と行き来はできる。(もう1枚)。
いまとなってはどこでだったか記憶は怪しいが、仮屋通りへ出てみた。車も通る広い道だから散策するのには二の足を踏むが、ところどころに立派な民家が並んでいる。そのうちの一軒、観光パンフレットにも載っている民家の前へ出た。可愛い女の子が軒下で遊んでいた。一人で遊んでいるはずはないがと、場所を移すと柱の陰からもう一人が現れた。まあ、とにかく静かなところである。
観光パンフレットによれば、
・・・・明治18年の火災後、「家は道路端から一丈一尺控えて土台を作ること。その土台から四尺の仮屋(ひさし)を付け、二尺の川をつけること」などが決められました。現在はとぎれとぎれになっていますが、当時は700mから800m連なっており、雨の日でも傘なしで通り抜けることができました。・・・・とある。「仮屋通り」名称の由来である。
写真ステージ 「近江富士」
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