若桜物語・2

さて、鳥取県若桜町。鳥取市から南東へ直線距離で26Kmあまり。中国山地の真っただ中といったところである。標題の写真は若桜鉄道の若桜駅。背後はご覧のような山、カメラの後ろもちょっとした市街地を挟んでやっぱり山、山間の小さな町である。
こうして分かってしまえば何でもないことなのだが、鳥取からの車の中で私はあらぬ妄想にとりつかれていた。「若桜」(わかざくら)が、どうしてもあの時代を思い出させるのである。確か、こんな歌があったよな。
・・・・花も蕾の若桜(わかざくら) 五尺の命引っ提げて
国の大事に殉ずるは われら学徒の面目ぞ
ああ、紅の血は燃ゆる・・・・
調べてみたら、戦争も末期、昭和19年、作詞は野村俊夫(戦後の「湯の町エレジー」の作詞者)だという。有無を言わせぬあの時代、この若桜(わかさ)という地名が、少なからぬ影響を受けたのではなかったか。
そんな思いを吹っ飛ばしてくれたのが、山に囲まれた穏やかな風景と、街角で見た草野球。日・英・中・韓4か国語で書かれた駅名表示の大らかさ。そして極めつけはキセルもパイプも大歓迎というこの風景だった。意味はお分かりですよね。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば
番外編 山陰海岸


若桜物語・1

所用で鳥取まで行ってきた。用事は初日にすまし、2日目の朝、ホテルのロビーでのこと。カラフルな観光パンフレットが並ぶ中で、およそ色彩とは無関係な地味なパンフレットが目にとまった。モノクロームのスケッチ、色彩といえばライトブルーの「若桜」の文字だけ。それも楷書体の地味な字である。さらにスケッチのトップば古い蒸気機関車。いまどきSLを売りにするところでどんなところやろ。まあそれはエエとして、蔵があったりお堂があったり。面白そうなとこやな。
あとで調べてわかったことだが、JR因美線の郡家から若桜まで第三セクターの若桜鉄道が走っている。その若桜駅にこのC12という昔のタンク機関車が置いてあって、それを資源にいろんなこと(SL運転体験・構内見学、手動式転車台体験など)をやっているらしい。
と、ここまでパンフレットを見てもまだわからなかった。実は前日訪ねた知人宅で、鉄道路線のことが話題になり、因美線、わかさ鉄道云々という言葉が出てきた。?・・・若狭鉄道てあったかなと不思議に思って訪ねようと思た時には、次の話題に替わっていたので尋ねずじまいだった。
その時訪ねた道の駅「若桜」に付されたローマ字WAKASAを見て、わかさ鉄道の意味が初めて分かったのだった。(標題の写真の真ん中にも、小さくWakasaの文字が見える)。
写真ステージ 「近江富士」
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番外編 山陰海岸


長命寺川

またどえらい台風がやってくるとか。午前8時前の段階では、当地雨が降っているだけだが、さてどうなるのか。
湖岸道路を大中の方からやってきて、渡合橋を過ぎたあたりで左の山蔭からひょっこり三上山が現れる。結構印象の強いところである。前の川は長命寺川。画面奥が琵琶湖、カメラの後ろ側が西の湖へと続く。普段高校生がカヌーの練習をしているが、このときはまん悪く一艘もやってこなかった。
写真ステージ 「近江富士」
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番外編 山陰海岸


消えたビルその後

中山道野洲川橋から右岸を近江富士大橋まで歩いてみた。こまごまといろんなものがあった構内はほとんど何もなくなっている。堤防は直線である。野洲川を下るということは、三上山から遠ざかるとの感覚でいたが、川そのものが中山道あたりから右曲がりだすため、結果としては遠ざかるよりも、三上山へ向いて、左へ左へと移動していくことになる。
こんなことを書いても意味が分からないだろうが、一つだけ具体的な例として、昨日の写真では雌山の下に見えていた十輪院の三角屋根が、今日の写真では三上山から離れて画面の右端へ移動している。小さくなっているから遠ざかっていることは確かだが、それと同時にカメラが左へ移動していることを示している。以前建物があった時には、こんな遊びすらできなかった。十輪院がどこに見えるか。それを意識しながら堤防を歩く。楽しいことである。
写真ステージ 「近江富士」
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番外編 山陰海岸


消えたビルその後

夏に1度レポートした三共の消えたビルその後である。中山道野洲川橋東畔にあったビルが消えた。8月23日にレポートした時にはまだ何となく雑然としていたのが、今回行ってみると、ずいぶんきれいに整地され広々とした雰囲気になっていた。三角屋根が光る十輪院の右、画面右端、蔵が並んでいる手前がこの敷地の正門だが、今でも門扉は開けられて守衛さんが立っている(もちろん写真では見えないが)。
ビルが消えてこうして整地される。随分広々とした雰囲気に変わったが、ビルがないというだけで、この広場そのものが人工構造物であることには変わりはない。こうして近くから撮る場合はいろいろと制約を受けるが、いったん遠くへ離れるとビルがないことは大きい。野洲川対岸からの風景などが大きく変わったことは間違いない。この後どう変化していくのか。
写真ステージ 「近江富士」
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皆既月食

皆既月食遊びの続き。昨日の標題写真は何ぼ遊びでも月が大きすぎたし、皆既直前で終わっている。ということで月を小さくして皆既の表情をつないでみた。結果が今日の写真である。昨日のに比べて月の直径が約半分になっている。そこで空いた分に皆既の月を入れたという勘定。
当然ながら部分食で欠けていく途中の月は暗くなっていく。月を同じ明るさに撮るためには適当に露出を増していかなければならないが、インターバルタイマーで2分ごとにシャッターを切っている間を見て、さらに調整することは可能かどうか自信もなかったので、部分食の間は一定の露出(ISO=400,F=8.0,1/50秒)で行くことにした。部分食の最初ではオーバーになり、最後の方ではアンダーになるという値である。結果部分食の間は月の暗い面は一切写らないということになった。
皆既に入ると月は赤黒い気球が天空に浮くようなイメージで、今回の場合は上面が明るく照らされているように見えた。露出はISO=400,F=4.0, 2秒。部分食の間にこの値ぐらいまで露出を順次増していけばこの不連続感はなかったわけだが、今回の場合はそれはできていない。皆既の1つ目と2つ目の間が狭い。テストのため手動で切ったデータが迷い込んだらしい。プロパティの撮影時刻が「秒」まで記録されると判断できるのだが。私のカメラの場合は、「分」までしか表示されない。
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皆既月食

昨夜の皆既月食。80年も人間をやってくると月食の1回や2回は見ているはずだが、写真に撮るのは初めて。野洲市三上の農地、県道504号沿いに多分オリベストのものだと思うが、ライトをつけた駐車場がある。そのそばの農道にカメラをセット。月の出前後はちょうど月があるあたりに雲が出てくる。日食と違ってかけ始めがはっきりしているわけではないから、まあ適当でいいだろうと薄暮の状態で何枚か。どうせ学術写真を撮るわけではないから、初めから合成を前提の上で長いレンズに替えて2分おきで連続撮影。標題の写真は4分間隔のデータ(2分おきでは串団子のように並ぶので)をKikuchiMagickで合成したもの。
皆既時の赤い月は下の2枚をどうぞ。
写真ステージ 「近江富士」
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地名の怪

田んぼのふちにコスモスが咲いていた。電柱が逆光で目立つけれどもまあエエか。国道477号を兵主大社の方から近江八幡のほうへ向かう。家棟川を越えてゆるーく右へ曲がったあたり。右側に家庭菜園風の農地が広がる。その一角である。ここも市境は日野川かと思っていたら、その農地が終わったところに市境の標識が立っている。要するに日野川の手前も200mほどは近江八幡市だということ。いま、現地に立ってもそこがなぜ市境なのか、納得できるものは何もない。考えられることは市境が確立した当時、そこを日野川の本流が流れていたのではないかということぐらいである。
地名のことはそれぐらいにして、以前は、といっても私が三上山を撮りだした30数年前の話だが、この農地は風景が単純で梅林などもあって(レンズの長さが違うので、山の大きさが違うが、遠くの山との重なりはほとんど同じである)まとまった風景だった。もう1枚、おまけ。写真になりやすく、中主の野田といえば、ここへ来るのが定番だった。これは家庭菜園の端(カメラの後ろが家庭菜園)。ごちゃごちゃ感のないところである。
写真ステージ 「近江富士」
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