緑の難しさ

JAおうみんちの近く。旧野洲川南流跡である。我々素人は川の跡というのは流れがなくなれば堤防の土を取り除けば元の土地に戻るのだろうと考えるが、そういうものではないらしい。大きな違いはまず水田にはならない。このように草地である場合が多い。右側の背の高いのは竹のように見えるが、それ以上の詳しいことはわからない。
この写真を見て気になるのは緑の冴えのなさ。その昔のフィルム時代から、緑の再現が一番難しいと思ってきたが、それがデジタルになって随分色が冴えてきた。とくに最近教室の皆さんの作品を見てがそれを感じる。ところがきょうの標題写真を見ているとフィルム時代に戻ったような気がする。撮ったその場で大きなディスプレーで確認できるといいのだけど、現実にはそういうわけにはいかない。家へ帰って、はてこの緑は?ということになる。もともとの現場の緑がさえなかったのか、それとも何か光の事情でこのようなな色になったのか。難しいところである。
奥の黄色いタンクは水道用のものかとおもうが、たとえばこの写真でタンクを隠してしまえば、5年、10年たって竹がなくなれば、どこで撮ったのかが分からなくなる。撮影位置のアリバイ用に、画面のどこかにこういう半恒久的なものを入れておく必要があると考えている。もっとも今の場合は、もう少し隠してもよかったかとは思うが。
写真ステージ 「近江富士」
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間抜けた話

> 道が一直線に三上山に向かう。守山市洲本町JRのカントリーエレベータの横から草津へ向かうメロン街道。その途中である。実は間抜けた話だが、このとき道を撮りに来たわけではなかった。道の左に見える草が生えた溝のようなところが目的だった。これが間抜けた話の現場である。
実は2,3年前の話だけど、初めて見たときはこの溝に草がほとんどなかった。そして水路が1本。それもただの水路ではなく、50mほどの直線水路が、右へ寄ったり左へ寄ったり、トータルとしては一直線に三上山に向かう、いわば農業用水の公園化というのだろうか。ちょっと味のあるところだった。そのとき写真は撮っているはずだから・・・と探してみたが見つからない。私はデータを撮影年月日と町名との2系列で整理しているが、どうもうっかりして別の町名のところで放り込んでしまったらしい。これをやると今度は見つかるのは偶然に待つしかない。ということでそのときの写真はアウト。今年5月に同じ場所から田植えの写真を撮った。ひょっとしてとそれを探してみたが、やっぱり草が生えていている。、右へ寄ったり左へ寄ったりらしいものは見えるが、最初のイメージとは程遠い。5月に草が生えていたのだから、8月の今はもっと生えていて当たり前。間抜けた話だ。
念のためと思ってGoogleMapのストリートビューで確かめてみた。2012年11月との日付の写真で水路をきっちり見ることができた。私が初めてみたのは、このころだったのかもしれない。
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展望台から

イネは撮りだめができない。特にこの時期は色が毎日変わっていく。標題写真の撮影が8月12日。きのう、きょうの色に比べると随分青いなと思う。おそらくきょう現場へ行けばもっと黄ばんで、穂がもっとはっきりしているはず。ということで、実情に合わない写真だということをお断りして、場所は、近江八幡市野村町、日野川大畑橋上流右岸の農地である。
1980年代の夏のある日、このあたりを走っていて三上山の上に大きな入道雲が立つのを見た。早速撮影にかかったが、横一線の日野川堤防が天地を分けている。田んぼと空との間に堤防の線が横たわるのである。標題写真でいえば、三上山の左下半分に見える堤防の線、これが画面いっぱいにつき抜けていたのである。撮るには撮ったが使える代物ではなかった。いまのこの構図で、上に入道雲が出たら何とかなる。しかし思うような雲は出ない。
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思うような雲

イネは撮りだめができない。特にこの時期は色が毎日変わっていく。標題写真の撮影が8月12日。きのう、きょうの色に比べると随分青いなと思う。おそらくきょう現場へ行けばもっと黄ばんで、穂がもっとはっきりしているはず。ということで、実情に合わない写真だということをお断りして、場所は、近江八幡市野村町、日野川大畑橋上流右岸の農地である。
1980年代の夏のある日、このあたりを走っていて三上山の上に大きな入道雲が立つのを見た。早速撮影にかかったが、横一線の日野川堤防が天地を分けている。田んぼと空との間に堤防の線が横たわるのである。標題写真でいえば、三上山の左下半分に見える堤防の線、これが画面いっぱいにつき抜けていたのである。撮るには撮ったが使える代物ではなかった。いまのこの構図で、上に入道雲が出たら何とかなる。しかし思うような雲は出ない。
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桜並木

昨日の大畑橋の下流、国道477号・野村橋の少し上流の地点である。477号というと何日か前、日野町でお付き合いをいただいた。それが何でこんなところでと思うのだが、決して間違いではない。まあとにかくこの国道はすごい。このあと確か琵琶湖大橋を渡って京都府へ出る。しかし、この話はここまで。
写っている堤防は、日野川の右岸堤防。以前はこんな状態(1996年)だった。今の写真でいうと、画面左の方のケヤキと桜が混ざっているところである。それが最近になって堤防沿いにずーっと野村橋まで桜が植えられた。右端にアップして見えるのもサクラである。これらの小さい桜が伸びて、古い木と肩を並べるようになると、山が見えなくなる。痛しかゆし。もっと遠くから狙わなければならないくなるだろう。しかしそれはかなり先の話。とにかく来年の春は近いところから。
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けもの道

近江八幡市野村町、日野川右岸堤防である。大畑橋のたもと、湖岸道路の日野川大橋を1番目として、上流へ向かって3番目の橋である。堤防上を砂利道がまっすぐに伸びていく。これはけもの道ではない。地図にもしっかり記載されている。問題は、その橋の少し上流側にあって河川敷へ下る道である。道といってもけもの道のようなものでもちろん砂利道。中央が水の流れでえぐられて、それに車輪をとられてスリップした後がいくつか見える。そんな道である。多分軽トラだとは思うが、こんな道を何で行き来するのだろうと不思議に思ったものだ。撮影場所はそのけもの道の下り口である。
と、そこまで場所を頭に入れて戻ってきた。最近そのアタマとやらが怪しくなってきているから大きなことは言えないのだが、道があったことは確か。で、地図でその道を探した。ない。なければないで橋のちょっと上流ぐらいをめどにしたらすむ話だから、それはそれでいいのが。ひょっとしてと航空写真に切り替えた。スゴイ、写っていたのである。航空写真の場合、写したままではなしにどういう処理なのかわからないが、道路の部分に筆でトレースしたよう跡が見える。たぶん山の中など木で道が見えないことに対する処理だろう。河川敷のけもの道にその処理が行われていた。けものたちも地図を見て作戦会議を開いているのだろう。
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分からずじまい

なんだろう?これは。見方によっては浮見堂の欄干かとも思う。それにしては湖面への高さがない。それに第一、奥がすっぽんっほんである。危なくて仕方がない。実はこれ唐崎の松の境内、水際近くにある。最初は集合写真の撮影台かと思った。しかし、もしそれだとしたら、前の欄干のような手すりは不要だし、第一、こんなに左右に広くない。それにここに団体を立たせて撮ってもバックは空しか写らない。それなら松をバックにしたほうがましだ。
能舞台?。左右に広げた翼の部分が花道(能舞台に花道という言葉を使うのかどうか知識なし。お許しを)。分かるような気もするが、肝心な部分がいかにも狭い。私の知識ではここまで、分からずじまい。
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唐崎の松は

駐車場から数10mで唐崎神社である。
”唐崎の松は花より朧にて”
中央の大きな松の木の間に芭蕉の句碑が立つ。そういう句があることを知っているだけで、きっちり読めるわけではない。何とも情けない。しかし他にもそういう方がおられると見えて、ちゃんと読めるような字体が添えられている。有難いことだけれども、こういうこと自体が日本文化の危機やね。自慢じゃないが、このトシになるまでこの手の字体を勉強したことがない。中学校ぐらいの時期に、ちょっとでもやっておくと随分違うと思うのだが。もっとも中学生ぐらいでは、これを読むことの大切さが分からないんだな。そうそう、高校でやった古典の文法、こんなうっとうしいものはないと思ったものな。
松の木の影に女性2人組が。ベビーカーが見えたから赤ちゃんが載っていたのかな。しっかり影の中に入っていかにも涼しそう。木の形と場所に特徴があるため、以前撮ったのをおぼえているのだが、これが1993年3月の撮影。きっちり剪定されていて、樹影がはっきりしている。松の木は剪定されてこそと思っているが、いまのこの時期は影優先かな。
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