春を待つ

さくら墓園の片隅に立つ桜の古木である。墓園が整備される前、ここは森であり大山川はその森の三上山側を迂回していた。それが今のように直線状に付け替えられた。左岸の堤防から見るとすぐ目の前が大山川、その向こう(今の墓園のところ)が森、その奥に三上山が見えるという風景だった。その森の片隅に1本の桜の木が立っていた。川を挟んで見たとき、距離があり過ぎてどうにも写真にはならなかったが、春になると見事な花をつけていた。
そののち、森が伐採されたとき墓地と川の境にあったその木は残された。花は美しかった(1991年4月撮影)。その姿には古武士の風格があった。以来四半世紀、木はさらに成長しようと頑張った。幹は太くなっている。しかし片側が川、反対側が墓地のその場所は、森の中のように安全な場所ではなかった。台風のたびに痛めつけられ、無残な姿に変わっていった。しかし、それでもなお春になると花をつける。森の片隅に立つ姿がフィルムが残っていたはずだと探してみたが、見つからなかった。ボツにした分に入っているのかもしれない。
写真ステージ 「近江富士」
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春を待つ

野洲市さくら墓園駐車場周辺の樹木が整備された。随分思い切ってカットされて周りが明るくなった。こうなってくると、照明塔の下に立っている薄汚い看板、どうせ「墓参以外の駐車はするな」とかなんとかの決まり文句が書いてあるだけで何の役にも立っていないのだから、取り除けばいいのに。
まあしかし、そんなことでぼやいていても仕方がない。もう1枚の写真を見てもらおう。この写真でいうといちばん奥の太い木が標題写真の木である。それから手前へ黒い木があって、白い細いのが2本、そしてもう1本黒い木と順に並んでいる。黒い木の種類は分からないが、細い木はモクレンのはずだ。この駐車場が整備されて間なしのころだった。周りの木が少なかったころに見事な花をつけた(1990年4月撮影)ことがあった。その後、周りの木に囲まれて鳴かず飛ばず、存在感がなくなっていた。たまに白い花を見た年もあったが、写真にはならなかった。この分では今年の早春、気持ちのいい風景が楽しめるかもしれない。
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動かない絵

琵琶湖大橋取付道路播磨田町北交差点。北側(三上山側)の角にメディカルツインという2棟の双子ビルが建っている。ある日、その交差点がべらぼうに混んでいて、一辻琵琶湖側の里道に入り込んだ。初めての道だった。ちょっとした集落を通り抜けてひょいと右を見るとメディカルツインと三上山が並んで見える。思っても見ない構図だった。
クルマというものは不便なもので、思いついたところでは止まれない。しかるべき安全なところへ置いて歩いていくわけだが、大抵はこんなはずではなかった、クルマで見たときはよかったのだが…ということになる。このときも同じだった。クルマから見たときは動いていることでもあり、細かいこにとは気がつかない。メディカルツインと三上山が並んで見えたというイメージだけだったが、実際に歩いて行ってみると、やっぱり・・・。たとえば走っているクルマから見た風景は上の小さな写真、建物と三上山だけが見える。歩いて行ってゆっくり見た風景は、それをクリックして拡大した風景ということになる。途端に電線が目立ってくる。昔ならそれだけでボツにしていたが、最近は少々のことには目をつぶることにしている。
TV局のカメラマンなどを案内すると、何でそんなところを撮るのかなと思うようなことがたびたびある。作品になって放映されるとそれがちゃんとサマになっている。大概はカメラそのものが動いていたり、ズームしたりパンしたりして絵が動いているのである。ワシらは動かへん絵で勝負しているんや、多少の自負を持っていたが、最近それが甘くなったなと思うのである。
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魔法使いの弟子

カメラは近江富士大橋の中ほどに立っている。昨日の写真でいえば画面右外すぐのところである。山の並びは昨日の写真とほとんど変わらない。昨年夏に一度レポートしたが、ここから見た場合、三上山と重なって大きなビルが建っていた。それが邪魔になってどうにも写真にならなかった。それが撤去された。昨年夏の時点ではまだ工事中の大型パワーショベルなどが写ったが、今はそれもなくなった。
次の2枚は、右岸堤防上から撮ったものである。2012年2月と2015年1月。まるで魔法にかかったように見事に消えている。
魔法といえば、あれは1950年代だったか。ディズニーの「ファンタジア」という映画があった。クラシック音楽を映像で表現したもので、その中でポール・デュカスの「魔法使いの弟子」が印象に残っている。・・・ある日、魔法使いが弟子に”風呂に水を汲んでおくよう”に言いつけて外出する。弟子はズボラをかまそうとホウキに魔法をかける。ホウキはせっせと水汲みを始める。そこまではよかったが風呂がいっぱいになっても水汲みを止めない。弟子は魔法の解き方を知らなかった。部屋中水浸しになって、困り果てた弟子はホウキをぶっ潰す。やれやれ一段落と思ったそのあとから、コッパ微塵になったホウキの破片が再び水汲みを始める・・・。消えたビル、誰かが妙な魔法をかけなかけなければいいが。
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遠い昔に

近江富士大橋下流左岸からの撮影である。河川敷が親水公園になっていて、小さな池があったりして、季節のいい時には家族ずれなどでにぎあうが、今は静かである。
実はこの場所、私が三上山の写真を撮りだして間なしのころ、冬至前後の日の出写真を撮りに通った場所である。今の野洲川放水路の工事が始まる前後のころで、河川敷には樹木が密集していて、そのわずかな切れ目に2本の裸の木が立っていた。河川敷の木が伐採され、公園になってしまった現在、その撮影位置は、このあたりであったとは言えるが、きっちりした場所は分からない。標題写真の稜線と、昔の写真の稜線とが一致ないのである。
画面左端に妙光寺山の一部が見える。三上山との間に天山(希望が丘の南に位置する)の一部が姿を見せる。三上山の右奥に菩提寺山がちょっと顔をのぞかせている。昔の写真は雌山に並んで菩提寺山の二重ピークが見える。標題写真で菩提寺山を左へ移動させると、そのピークが雌山の後ろへ隠れてしまうのである。七不思議の一つである。
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明け行く

昨日(17日)時雨に小雪が混じりだした。夕方、5時半ごろ近くのコンビニへと外へ出たらしっかりした雪に変わっていた。屋根は白くなっていたが道路ではすぐに解け、クルマは水しぶきを上げていた。
そして今朝。道路に雪はなく、平地では麦畑にさらっとまいた程度の雪。三上山は下3分の1は積雪なし、それから上が白。三上地区の標高がだいたい100m。三上山が400mだから標高差は300m。上空100mで雪が雨に変わっていたことになる。いつもながら自然の摂理の几帳面さに感心する。空気は高さ100mで、0.6度ぐらい気温が下がるといわれている。だから昨夜の場合、あと1℃気温が低かったら平地でも雪になっていたことになる。
午前7時ごろに見たときは風景全体が暗く沈んでいたが、20分余りで空の一部が赤く焼けだした。太陽は雌山の背後にある。
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ゲテモノ大会

”夜目、遠目、傘の内”という。今の基準でいうと、これも女性差別ということか。うっかり妙なところで発言するとじろっと見られるのがおちだろう。女性はいざ知らず、こと三上山に関しては夜目、傘の内ともかく、遠目だけは間違いない。
江戸時代の文人谷文晁は『日本名山図絵』の序文で次のように述べている。・・・・余、幼キヨリ山水ヲ好ミ、四方ヲ漫遊シテ、名山大川ニ遇フゴトニ必ズ図シテスナハチコレヲ収ム、ケダシ思フニ、山岳ノ奇勝コレヲ得ルハ、ソノ遠キニオイテナリ。ソノ風象オノヅト無尽ノ意味ヲ有スナリ。……
山岳ノ奇勝コレヲ得ルハ、ソノ遠キニオイテナリ。要するに山の姿を見るには、ある程度離れてみなければならないということだろう。三上山は見る方位によってその見え方に多少の相違はあるにしても、遠くから見た場合は、その姿かたちにおいては他を圧する。しかし近寄ってみるととんでもない形に変わっていく。
標題写真は山頂からの水平距離1.2Km。近江富士団地近くの大山川沿いの道路からである。雌山に近い側から見ているために、それがぐんと大きく見え、山の形が崩れてしまう。いつか見てもらった湖南市柑子袋あたりから見る菩提寺山のほうがまだしも三上山らしく見えるという皮肉な現象につながる。ついでにもう1枚。花緑公園植物園ゾーンから。これも難儀な形である。
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踏切を渡って

踏切を渡って国道側へ出た。架線用の支柱がなくなるから視界は抜群に良くなる。思っても見ない風景だった。ボウル滋賀のピンが見える。その右の松の木も、国道を走っていて見た記憶はあるがどこだったか。右の方に楯を伏せたような大きな屋根が見えるが、甲西高校の体育館しか思い当たらない。三上山の手前、左から下ってくるのが菩提寺山の裾。バックの雪の山は比良山系蓬莱山。
楽しくなってそこら周辺を歩いてみた。カメラの後ろは大砂川(天井川)の堤防である。と、その登り口が見つかった。以前(2011年1月)、三雲城址を探しに行って、この大砂川の三雲側(今いる場所の反対側)へ回り込んだ。道が分からなかったけど、無理をして斜面を登った。うっかりして引っ付き虫に触れたらしく、ズボン全体にくっつかれてひどい目にあった。そうかこちが側から回ればよかったのか。
その時の写真をもう1枚。大砂川をくぐる草津線トンネルを三雲側から見たところ。その時はまだ線路をまたぐ由良谷川の遺構が残っていた。トンネル部を拡大するとそれが見える。
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