この辺だったと

もう1枚、昨日の写真とよく似た条件、いやもっと具合の悪い一枚がある。刈り終わったあとの田んぼの中、左は森に隠れ、右半分はハザ掛けのワラで隠している。見えるのは頂上部だけ。撮影メモは”1978年12月・守山市三宅町”のみ。辺り一面の田んぼの中で、その後の変化は予想すらできず、これ以上メモのしようがなかったのだろう。
そして今、右の建物が守山市民ホール。目の前が駐車場、長く砂利敷きのままだったがきれいに整備されている。山に重なっている遠くの建物が成人病センターの旧館。左に半分見えるのが新館。左の林の向こうが守山市民体育館・守山市民運動公園。そしてカメラの後ろがテニスコート、新しく整備されたらしい。これで30数年前の写真の撮影位置がここであるといっても、誰も信用してくれないだろうし、撮影者である私自身も”この辺だったと思うんですがね”というのが精いっぱい。証明のしようがないのである。現在の写真を拡大すると、右に雌山の一部が見える。昔の写真にこれの一部でも見えればまだ話のしようもあるのだが。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


お寺の屋根

昨日の場所から100m余り北へ寄ったところである。実はこの場所、1980年4月撮影の写真がある。これが同じ場所なのかと思う。一目で分かることは道のあるなし、川の幅、守山市街のたたずまいの違い、さらには電柱の有無。あまりにも違い過ぎる。ただ言えることは山の稜線の一致。これはまず間違いはない。さあこれで、この両者が同じ場所からの撮影といえるかどうか。
実はこの昔の写真、1994年発行の『近江富士百景』に収録しているのだが、この時点で撮影場所が怪しくなっている。2000年を過ぎてデジタル化するにあたってもう一度洗い直した。山の並びは言うまでもない、三上山の右が菩提寺山。昔の写真で、その菩提寺山の左下にお寺の屋根が見える(陰になって横に長い長方形の屋根)。2002年でその屋根が見えた。果たして2017年の現在はどうか。その部分を拡大してみた。真ん中辺に小屋が見える。そこから白い煙突様のものが出てそれと重なってこの屋根が見える。もう一つ何かが起これば見えなくなるところだが、とにかく今は見える。これが見えなくなった時点で、昔の写真のアリバイは消える。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


最後の刈入れ

大部分の田んぼでは刈入れが終わり、ヒコ生えの緑が出そろっている。そんな中でわずかに残ったヤマブキ色、そこで刈入れの打ち合わせ中。のどかな田園風景である。
クルマではときどき走るのだが、通りの名前はわからない。要するに守山北中の前の道路。そのままずーっと北へ進むと野洲川・新庄大橋へ出る道である。現場は守山市街地から一歩離れた田園地帯。遠くに見える赤い建物は、ドラゴン守山1番館。手前右の森は石田町の若宮神社である。撮影現場の右には、以前は多少の空き地があったような記憶があるが、今回行ってみると新しい住宅地になっていた。このあたりもいつかは市街地に変わっていくのだろう。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


はしご車

ハシゴがするすると伸びていく。といっても火事でも事故でもない。守山市石田町、湖南広域消防局北消防署の前。左の建物は守山中学校の体育館である。TVのニュースなどではよく見るが、実際のハシゴがここまで伸びるのは初めて見た。上のゴンドラには2人の姿が見える。これでマキシマムなのかどうかそれはわからない。下で赤いヘルメットをかぶって上を見上げている2人はどうも子供のようだ。練習なのかデモストレーションなのかよくわからないが、こちらも初めて見る光景なのでポカーンと口を開けて見上げていた。
こんな写真がある。三上山を撮りだして間なしのころ、1978年12月、右端に見えている木がもう1本あった。それが葉を落としつくして鳥の巣が裸になっていた。もちろん消防署はない。中学校のネットもなかったはず。いまの守山球場横の駐車場から道を挟んだ琵琶湖側ががれき置き場になっていて、一部が高さ数mの盛土になっていた。 そのてっぺんから撮ったものである。電柱も電線も一切の邪魔者はない。今その場所にはどこかの会社の社屋が建っている。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


釣り船遊ぶ

堅田浮見堂北方、はっきりしない天気だが、釣り人は楽しそう。ワタシらの子供のころは船の上で立ってはいけないと教えられたものだが。今の釣り船で座っている人はいない。と、きょうはそれぐらいにしておいて、これからが本論。きのうの余談の続きである。
もう一度きのうの写真を見てもらおう。真ん中にあるのがレンズであることは一目瞭然だが、メモリがあるわけではなし、おい、ちょっと待て、ワシは「目盛」と打ったんじゃ。・・・それにシャッターなどの造作もない。第一、右上にへばりついている割れたガラスの意味が分からない。そこまで見て、蛇腹の向きがおかしいのに気がついた。これではレンズが引っ張りだせない。カメラを裏から見ていたわけだ。
裏表ひっくり返して、蛇腹を伸ばしたのがこの写真。蛇腹が破れて、全体はほこりまみれ、何とも情けない状態だったけど、その当時はこれで家一軒分といわれた高価なものだったはず。そのそばに乾板(Dry Plate)が入っていた箱が置かれていた。その後のフィルムに相当するものだが、ものの本によるとそれ以前は湿板、カメラマンが液を調合してガラス板に直接塗って…という時代があったとか。いずれにしてもどなたかが寄付されたものだろうが、すごいものを見せてもらった。
感激して横を向いてビックリした。ワープロである。おい、ちょっと待てよ。これならワシ使ってたぞ。50歳前後だったから、いまから30年ほど前か。置いてあったのはNEC製だったが、ワシのはCanon製だった。上にでかいブラウン管が載っていて、フロッピーを差し込んで・・・・。文章を打っていて、漢字のところへ来ると「漢字初め」を打って、打ち終わると「漢字終り」。当時は手で書いたほうが早いといわれたものだが。そのワープロが乾板カメラと一緒にこの部屋に放置されている現実。改めて時代のテンポの速さに驚いた。そうか、ワシももうこの部屋に入るべき人間なのだ。植木等が生きてたらこの部屋でどんな歌を歌ったやろね。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


花緑公園昼寝

花緑公園から見た三上山。見上げるように高いのだが、写真に撮ると寝てしまう、おきまりの構図。その上に白雲の大きな塊がどーんと載っている。太陽の光芒でも走ると多少絵になるのだが、それもあるような無いような。寝ているような起きているような、しょうもない写真。
ふと思いだして、日野町旧鎌掛小学校へ行ってきた。きょうはそれをネタに余談。
と書いてふと思いだした。去年レポートしたのもこの時期ではなかったか。調べてみたらやっぱりそうだった。彼岸花が咲いていた。しかし、きょうの話は前回見逃していたところ。旧鎌掛小には校舎棟が新旧2棟あって、新しい校舎のほう。そこに古いものが詰まっている。社会科の教材というところか。展示してあるのではなしに置いてあるという状態。そこもどうぞご自由にお入りください。時代劇なんかで見たことはある。しかし正式名称はわからない。そういった類のものが部屋いっぱいに置いてある。その中での話である。
?、これカメラと違うのか。(上にも書いたが、展示してあるわけではない。無造作に置いてある。下に敷いてある昭和云々の紙は何の関係もない。これは無視)。レンズが真ん中にあって周囲に蛇腹。・・・若い人にわかるかな、ジャバラと読むのですぞ)。上の隅に割れたすりガラスがへばりついている。・・・続き、明日。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


夏見新田余話

県道4号(旧国道1号)「夏見新田」交差点のそばから。右手前が甲西高校の体育館。壁面に校名が見える。ところで旧甲西町・旧国道1号の信号のある交差点はほとんど野洲川の橋につながる。要するに石部から東進し左へ曲がれば野洲川を越えることができる。・・・が、夏見新田はそうではない。細い里道につながり、野洲川まで行かずに行き止まりになってしまう。
その昔、地理不案内だったころ、この交差点で左折しようとした。アッと思った時には遅かった。途中で止まることはできない。仕方がない曲がり切って汗をかきかきクルマを返した。それ以来、ここへ入るとひどい目にあうと敬遠していたところである。そのころ落ち着いて風景を見ていたら、もっと広い風景が見られたのかもしれない。今回は他所に車を置き、信号までは徒歩で行ったことは言うまでもない。
ところでその反対側、野洲川と反対側に向かう道は一直線に伸びて、山手の旧東海道につながる。そこに「新田道」という立派な道しるべが立っている。由良谷川の下をくぐるトンネルのそばである。昭和10年改修だという。道路の改修記念碑だと思うが、その先が栗見新田だと知ったのはつい最近のことだった。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


松が枯れる

唐崎神社。何やこの松は。調べてみると昨年8月16日にレポートしている。湖岸沿いの松の木と灯籠と、いわば普通の写真で、中心の松については句碑のことを触れているだけ。もともと三上山と合わせては撮りにくい木であるから表には出していない。何事もなかったということであろう。
それがこの枯れ方である。南の方へ回ってみるとこの調子。アップしてみると枝の一部が折れたとか、そういった類のトラブルでないことは明白である。神社名でこのような張り紙が。今年の3月ごろから兆候が現れたという。いずれにしても枯死したというべきが、枯死瞬前というべきか。命のことである。正直、見守るしか仕方がないのか。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば

