消えた柿の木

乙窪の話をもう少し。これは旧野洲川北流堤防の乙窪橋近くから、乙窪の農地を見たところである(この石灯籠は、乙窪橋跡にいまも保存されている)。いうまでもなく天井川の堤防の上からだから視線が高い。こうしてみるとひょいと堤防から下りればそこへ行けそうだが、これが難儀なところだった。土地不案内の他所者にはその道が分からない。今でも私は集落の方からこの農地へ入る自信はない。堤防で囲まれていたとき、この農地へ何回入ったか。そんな意味で堤防が撤去され、新庄側から見通せるようになった時は世界が広がった思いだった。そして見つけた4本の柿の木。
標題写真はこの4本の木が立っていたところである。レンズの長さが違うのでピンと来ないかもしれないが、三上山の左裾に見える大きな森とすぐ目の前に見える田圃の区切りのブロックの線。今回はトラクター跡のカーブを意識したから右へ寄ってしまったが、昔の位置はもう少し左だったようである。今はどう考えてもここから望遠は使えない。
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どうでもエエ話

麦畑が広がる、野洲市乙窪の農地である。ただし撮影しているのは、一段高い守山市新庄町。細い溝1本で市域が変わるというややこしいところである。これは現場から少し右へ移動して撮った写真である。右端に見える道路がいま立っている道の延長。溝があって一段低い農地が野洲市乙窪。正面の梅林が昨日の「梅花咲く」の撮影場所。ここから見るとほとんど花は見えない。
脱線した。この段差の現実が両市を分ける。例えばこの切株。いわゆる地続きから見るとこのような円形に近い形には見えない。もう少し楕円に見えるはず。それをもっと端的に見せるのが標題写真である。今写っている2本の木は、実際には私の身長より高い。それが一段高い新庄側から見るとカメラとほぼ同じ高さに見える。どうでもエエ話である。
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梅花咲く

野洲市乙窪、守山市新庄と隣り合わせで、知らない人が現場に立っても、どちらがどっちか区別がつかないような場所である。しかしかつては野洲川北流で区分され、交互の通行も細い橋1本という関係だった。今はその堤防が撤去され、一見しただけでは区別がつかないぐらいの位置関係になった。
とはいうものの子細に見ればそこに明らかな区分が存在する。乙窪地域は新庄堤防跡地より一段低いのである。そこに梅の木が数本植わっている。花が咲いたところを一段高い新庄地区の道路から狙ってみようと出かけてきたが、1本の木だけが咲いて入る状態、目論見は見事に外れた。
仕方がないと、咲いているその木に近寄ったが、咲いていない木が邪魔をする。どうしたものかと思案しているところへ、小鳥が一羽やってきた。無理を承知で後でトリミングと1枚撮り、次にもう1枚と見直した時にはもういなかった。
結局は、バリアングルファインダーで両手を伸ばして撮ったのが標題写真。タイトルだけは仰々しいが、要するに目論見が外れの一枚。無理をして撮った写真にまともなものはない。
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消えた記念碑

ナノハナ花を撮った帰り、クルマまで同じルートをたどることになる。当然のことながらカラスが集まっていた。先ほどの繰り返し。カラスは5羽、10羽と飛び立っていく。今度は丘の上の野洲川改修記念碑をポイントに。先ほどまでカラスが2羽、テッペンの両端に止まっていたが、気がついたら1羽になっていた。2羽よりはこの方がよかったかもしれない。
この記念碑はその昔、新庄自治会館の前に立っていたらしい。何かでそれを知って、自治会館を訪ねていった。建物はあったが碑はどこを探しても見つからなかった。どうしたのかな、そう簡単になくなるものでもないはずだし、探し方が悪かったのかなと思っていた。そんなある日、新庄の堤防横に立っているのがその碑ではないのかとふと思った。写真を撮って帰って、自治会館前のものと見比べてみた。間違いなく同じ碑だった。何やそういうことだったのか。大賛成。地域の人しか見ない自治会館前より、ここの方が多くの人の目に触れる。気宇壮大、大きな風景の中でこそ生きる碑だ。
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トンビがくるりと

カラス騒動を抜けて、いざナノハナ花へ。どこでもそうだと思うけれど、菜の花が水平に広がっているだけでは写真にならない。ナノハナは別に広くなくていい。それよりもその横に何かがほしい。いまの場合、そこに格好のいい柿の木があった。てっぺんにトビが1羽止まっていて、先ほどからぴーひょろピーヒョロとご機嫌である。トンビがいつまでもそこにいるとは思わないが、菜の花と柿の木、落ち着いたいい組み合わせだった。
で、これがその現場である。立体的なものの見極めは難しい。遠くから見ごたえのあった木は、あまりにも道路に近すぎた。後はビニールハウスでさがれない。目の前に木が突っ立っているのである。遠くからでは見えなかった細い枝がごちゃごちゃして扱いにくい。結局その枝の先だけでお茶をにごす始末。お前アホかといわんばかりに、先ほどのトンビが空中で輪を描いていた。
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カラスと遊ぶ

守山市新庄町、野洲川放水路の右岸に位置する。守山市と野洲市の市境は旧野洲川北流が原則。現在その境を旧野洲川北流道路が走る。旧北流から見れば左岸だったが、新放水路からすれば右岸になるという微妙な位置関係にある。
ここ何日かの寒さが緩み久しぶりの好天。集落のはずれにある墓地の近くである。遠くにナノハナの黄色が見事だった。そこへの途中、畑に放置された肥料用の野菜にカラスが群がっていた。何羽という数値では表現できないくらいの数。半径20mぐらいの円が真っ黒になるぐらい。歩いて近づくだけでは無視しているが、立ち止まってカメラらを構えると雰囲気が変わる。ヤツらも身構える。そして10羽、20羽と飛び上がる。もちろん遠くまで逃げるつもりはさらさらない。ほとぼりがさめればすぐに舞い戻るつもりだから、ちょっと席をはずす程度。お互いお遊びである。
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地形と地名

きのう見てもらった場所は、集落のはずれ、家一軒越えると農地に出る。その農地を抜けて県道2号(近江八幡の方からやってきて、近江富士大橋を越えて守山市へ。幹線道路だけど歴史は浅い)を越えたところ。単純に考えて県道を越えたら地名が変わるのかと思っていたが、市三宅のまま。なるほどな。地名が先で道路があとである。道路ができても地名は簡単に変わらないものらしい。地名は地形で区切られる。そういえば道路は地形じゃないものな。
たとえば川を境として地名を決める。左岸がAで右岸がB。これは川が先で地名があと。そのあとで川筋が変わる。野洲川放水路などがそれに当たるが、川筋は変わるが地名は変わらない。だから野洲川の下流などは、左右両岸ともに守山市になっている。昔は長野県だった中山道馬篭宿、今は岐阜県になっている。これなどはよほど特殊な例なのだろう。
画面の中ほど、木に挟まれた部分が白く目立つ。畦にビニールが掛けられているのだろう。男性が一人仕事中。何をやっているのか、素人の私に想像すらできない。聞きに行けばよかったのだけど。
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カーブの先に

文章で書くのは難しいが、きのう見てもらった集落内の道のほか、もう1本南西側に集落をまくように伸びる道がある。今の農道は定規で引いたような直線だが、その昔の農道は自然の地形に従っていた。そんな農道を一般道にアップさせたような(真偽のほどはわからない。私が勝手にそう思っているだけ)カーブがつながっている。旧街道もカーブが連なるがニュアンスが全く異なる。カーブはカーブじゃないか、どこが違うのかといわれるとこれまた口では説明できない。私の理解度の問題で恥ずかしい限り。
古い集落はどこでもそうだろうが、道路が狭く集落内から遠くを見通せることはほとんどない。ところはこの道はいま述べたカーブが効いた。それとクルマは1台だけ離合は絶対不可能な細い道と違って、ご覧のように2車線とは言いにくいが、離合は十分できる。この広さが展望を助けた。緩くカーブしていく先に三上山が見える。集落内としては珍しい風景である。
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