貴重な隙間

地名は昨日と同じ水口町酒人である。細かいことを言うと、こちらの方が900mほど遠い。しかし三上山から見た方位はほとんど同じ約134度である。ところが見える風景はずいぶん違う。第一、昨日の写真で見えていた菩提寺山が今日の写真では見えない。もうお分かりだと思うが、きょうの写真の左の山に隠れているのである。それを引っ張り出したのがこの写真。ちょっと右へ寄るとこのように見えてくる。昨日の写真は900m近寄ったために、左右の山の間隔が広がって見えたことになる。
左が三雲の烏が岳、右が朝国のTOTOの丘。この間を国道1号、旧東海道、JR草津線、そして野洲川が通る。前3つは人間が作ったものだから、考え方によって何とでもなる。しかし、もしこの山峡がふさがっていたら、いま私が立っているこの場所を含めて、水口から土山町の手前あたりまでは湖だったはず。貴重な隙間である。
写真ステージ 「近江富士」
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木が伸びて

あれはどこだったろう、水口町内を走っていて、ふと思った。たしか野洲川のふち。子供がソフトボールで遊べるぐらいの広場があって、・・・。たしか横田の渡しの常夜灯の横から川のふち沿いに走った記憶がある。広場はそのまま残っていた。河川敷へ出ようとすると、足跡が点々と続いている。イノシシかシカか。夜間には出没するのだろう。砂の粒子が細かい。まさか川の水がここまで来るとは思えないが、広場に降った雨が流入するのだろう。
ここではなかったのかと疑いだしたころに姿が見えだし、ふと気がつくと菩提寺山と並んで、2つの山が木の間に並んでいた。それが標題写真である。以前来たときは朝国の高架橋が白く輝いていた。きょうはそれが見えない。記憶違いだろうかと、帰ってから確かめてみた。出てきた写真は2012年1月の撮影だった。そう古い話でもないのに、対岸の木が増えている。これ以上伸びると、ここからも無理になりそうだ。
広場へ戻ると杉の木の上の電線にハト?が数羽、オタマジャクシのように止まっていた。
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林を抜けて

今まさに木々のトンネルから抜け出ようとするところ。1年に1回も通らないところである。一番わかりやすいのは守山北高校の北ということになるが、その間に旧野洲川南流を挟んでいるから、さあ意識がつながるかどうか。結局は立田町の集落を抜けて旧南流の堤防へ出る道ということになるのだが、実際にその付近を知っている人にしか通じないだろう。
ちょっと細かいことだけど、左の林と重なって背の高い建物が見える。下半分はビニールハウスと重なっている。障害物も言ってみれば相対的なもので、ビニールハウスそのものが邪魔になるときもあれば、今回のように後ろのものを隠してくれることもある。それともう一つ林から角のように突き出ている短い木、撮影時意識はしたが、これと山の左斜面が重なるところだった。こういうヤツが怖い。
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マメ畑

直線距離でいうと我が家から800mほど。決して遠い距離とは言えない。しかしそこを歩くとなると1.3Kmほどになる。そして、ちゃんとした道が続いているのに、たった1か所のネックのために車で行くとなるとうんと大回りになるいう妙な場所である。我が家からの地理的関係が妙なのであって、この場所が妙だというわけではない、お間違いないように。
例のクリーム色の建物は右の方へ移動している。昨日の発掘現場あたりから見ると、かなり左へ寄ったことになる。よく見ると位置のゲージだった奥の建物が見えない。で、もう一度場所を巻き戻してみる。
写真A、この左外が柿の木地蔵さんの場所だが、この水門で道幅が制限され、軽トラがやっと。歩いてなら通れますというところである。例の奥の建物は凸部のすぐ左に見える。
写真B、右端の方で発掘調査が行われているようだ。大部分は平地に戻されている。調査は終わったのかもしれない。奥の建物は手前の建物を離れて左へ出てきた。
写真C、細い道がある。生活道路のはずだが、どうなるのか。例の建物はさらに左へ移動して、手前の森に隠れようとしている。
標題写真の現場は、上のC点から100mほど山から離れて、さらに左へ寄ったところである。豆畑の中に杭が並んでいる。そのあたりがバイパス予定地のはず。このあたりは直接関係はないが風景は変わる。
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発掘調査

かつてあった柿の木地蔵さんの近く。8号バイパス工事のための発掘調査が行われている。周囲の田んぼの高さに比べて発掘面が意外と低いのに驚く。当時の生活面に対してこれだけの土が堆積したのだろうか。その方面の基本的な知識がないため、ふーんと感心して見ているだけである。ただ分かっていることはこうしていま私が立っている場所を含めて、田んぼの手前の範囲はすべて近い将来バイパスの地下に埋まってしまうということである。少なくともバイパスができる前はここにこのような風景があったことを残したい、ただその思いである。
右にあえて少しだけ入れた高圧線鉄塔。これは将来どうなるのか。移動させるのか、このまま残すのか。
国道沿いのクリーム色の建物。これには泣かされたが、いまとなってはランドマークになる。これは本来凸方の建物である。屋上の真ん中に凸部がある。右かどに出っ張りがあるが、これは別の建物。写真Aでは両者は離れて見える。標題写真に対して、写真Aは右から撮られていることが分かる。
写真B、水路が流れ込んできている。さて撮影場所は標題写真にに対して右か左か。後ろの別の建物が凸部のすぐ右まで移動した。奥にあるものがカメラと同じ向きに動いたと考えればよい。この場所は標題写真より左である。
最後に写真C、後ろの建物が凸部を越えて左移動した。撮影場所は、もうお分かりのはず。柿の木地蔵があったところ。屋上の線を確かめてもらえばいい。撮影は2015年8月31日、このときは何も知らずに撮ったが、今思えば右の砂利道や杭などバイパス工事の前兆だがった。
つけたし。最後の2枚(写真C・柿の木地蔵)を見比べると、写真Cの方が後ろの建物が低く見える。写真Cのカメラ位置が低いことを示している。風景は厳しいですよ。
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人工風景

野洲川が真正面から流れ下ってくる。守山市新庄大橋からの風景である。晩秋から初冬にかけて、ちょうどいまごろの季節、快晴の日の出前後に川霧が発生する。その夢幻の風景は忘れがたい(2008年11月撮影)。標題写真はズボラ老人の昼前の写真。日の出のころであろうと昼前であろうと、ここでつらいことは少し上流で川を渡る高圧線。2枚の写真にもよく見ると写っている。とにかく長いレンズは禁物である。
いずれにしてもこの風景、右側に見える工場の建造物を除くとどこにも人工物がないかのような錯覚を起こす。ほかでもない、この風景は野洲川放水路、この風景自体が人工風景なのである。工事の完成時、一つ上流の川田大橋から河床一面に広がる流れで満足し、こちらまでは足を延ばさなかったのが悔やまれる。過ぎ去った風景は戻らない。
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分からない文字

僅かにカーブして三上山に向かう道路。新庄大橋上流左岸堤防である。花の時期には例の桜で大混雑するが、普段は散歩の人が時々通り過ぎるだけ。このときもススキの横に人影が一人。もおちょっと真ん中を歩いてくれたらいいのにと思いながら、よく見るとその手前の道路に白いレタリング。近寄ってみると「 I L4」とある。このレタリングこれで三度目だ。たしか前2回は I R。そういえば右岸だった。こちらは左岸だ。理屈はあっている。しかしその意味が分からない。
当然だけどこんな文字は地図には載っていない。ところがふと切り替えた航空写真に写っていたのである、これが。(何となく気色悪さも感じるが)。右岸のときはそれに気づかず、ただ単に湖岸から1Kmごとにふったナンバーだろうと考えた。で、この場所の右岸を調べてみた。ない。右岸はクルマ通行可だ。クルマが走るところは記入なし。いまこの文章を書きだして、ふと気になって見ただけだから、細かく詮索したわけではないが、 I L1は湖岸から700mほどのところにある。何ぼなんでもこの誤差は大きい。やっぱりわからん。
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メタセコイヤ

昨日(12月7日)の京都新聞に、マキノのメタセコイヤ並木の黄葉が真っ盛りだとの記事が載っていた。ということは守山の明富中学の木も今が盛りか。8本の木が横に並んでその右に三上山が見えるという構図だけど、発見したのが今年の新緑の時期。秋の紅葉は初めてである。とにかく8本の木より三上山のほうが低く見えるから絵造りは難しい。強引に8本の木の真ん中に山を置く手もあるが、やっぱり主役は三上山なんだし・・・・。
帰ってから新緑の構図と見比べてみた。これは今回のものである。ロープの柵を見るとほとんど同じ場所らしい。細かいことを言うと、春の方が山が木より離れている。今回、右へ行こうと思えば行けたが、桜の木が邪魔をする。春にはあまり目立っていないのに。ひと夏の間に伸びたのかもしれない。
標題写真はさらにバックしてヨシの穂の後ろへ回った。バックできたのはラッキーだったが、今度はそのヨシが邪魔になって右へ寄れなくなった。なかなか思うようにはいかないものである。
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