番外編・稲荷山古墳

1981(昭和56)年1月発行の写真集『湖愁近江路』(発行:集英社・撮影:藤本四八)に一基の石棺の写真が載っていた。見ての通り何とも愛想がない写真で、もうちょっと何とかならんのかと思ったものだった。それが稲荷山古墳の石棺だった。それから30数年、いまになってみると他の写真はすべて忘れてしまったが、その写真だけが記憶に残っている。その特異な形が脳裡に残ったのであろう。
その後、今回の清水山城址などを地図で探るうちに、新旭町、西の山手に稲荷山という山があるのに気がつき、例の古墳はこの山中のどこかにあるのだと思い込んだ。清水山城主郭跡の案内板を見るとすぐ目の下の山(鉄塔が建っている山、昨日のパノラマ写真の左端の山)が稲荷山だという。そうか、稲荷山古墳はここだったのか。
その帰り、どこをどう走ったのか、安曇川を越え鴨川を越えた。と、立派な標識があって、「稲荷山古墳」・・・。オイ、ちょっと待てよ。稲荷山とは似てもつかない田んぼの中である。稲荷山は清水山城址の北東にあった。ここは、そこから南へ川を2本も渡っている。よくこれを見つけたものだ。何も知らずに勘違いをしたままだったら大恥をかくところだった。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


清水山城主郭跡

「主郭」、聞きなれない言葉だけど、天守閣ほどではないが、城の中心的建物という意味だろうか。どこかに解説はあるのだろうが、私としてはここから見る三上山のほうが大切である。さあ、ホンマに見えるのか。上がり切るまでもなく見えてくるのは伊吹山。三上山はずーと右の方だ。木がある。見えない。パノラマ写真を見て、瞬時に三上山が発見できた人はかなりのものである。現場に立った私は、瞬間、本気で見えないと思った。そのあと、ゆっくり見直して、木の右端と白鬚神社の岬との間に沈み込むような姿を見てほっとすると同時に、何でという疑問がわき上がってきた。
パンラマ写真でなくても標題写真を見てもらっても同じことであるが、三上山は背後の金勝山系の稜線から頭の先端をほんのわずかに見せるだけである。以前、麓の大荒比古神社の近くから撮った写真は薮の間からではあったが、上半身を大きく見せていた。カシミールでも確認済みである。ここはそれよりも高い。もっと頭を出していいはずである。それがなぜ?。
よくよく考えてみると、わたしは今回自分で歩いてみるまで、地図上での主郭の位置が分かってはいなかった。それが分からなければカシミールでのシミュレーションは無理だ。帰宅してから改めてやってみた。金勝山系の一番低いところから頭だけを出している。考えてみればこれが当り前の姿である。おかしいのは、麓から見た写真だった。その日は三上山は見えるが、金勝山は見えないという中途半端な視界の日だったのだろう。それを裏付けたカシミールは何だったのか。カシミールには、描写最大距離を指定することができる。その数値が40Kmに指定されていたらしい。うかつだった。そのために金勝山系は描写されず三上山が独立して立っているように見えたわけ。その後ろの金勝山系に思い及ばなかった私のミスだった。と、まあいろいろあったけれども数年来の課題が解決できた。今年の一つの収穫だった。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


清水山城主郭跡

大荒比古神社は国土地理院の5万分の1地形図に記載されている。しかし清水山城址の名はない。この時点でまだ私自身正確な位置を知らなかった。しかしその付近が城址の一角であることを知った。その気になればわかるはずだ。エエ加減な気持ちで人を頼っていたことを恥じた。新聞の投書でこの城址を知ったころに比べると、情報ははるかに豊かになっていた。調べてみれば見通しがいいという主郭跡には高圧線電柱が立っているという。それなら行けるだろう。
道しるべもしっかりしていた。難なくたどり着くことができたが、それは高圧線鉄塔が目印になってくれたわけではない。たとえば私の住まいの近くの祇王井跡、その記念碑は高圧線鉄塔の真下にある。およそその付近までたどり着けば、後はその鉄塔を探せばよい。田んぼの中もまたしかりだ。どこからでも見える。安易な気持ちで出かけたが、山ではそ鉄塔が見えないのである。実際に見えたのは、まさにその真下へたどり着いてから、そこまではガイドが唯一の頼りだった。その真下にあった指標。あとは花緑公園にあるような木の階段を登るだけだった。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


大荒比古神社

「いつでもご案内しますよ」。Mさんの呼びかけだった。しかし、ことは簡単ではない。天気を度外視して、2,3日前に約束をしてというならこれは何とでもなる。それが常識の話。しかし、なんせ直線距離で34Km余。琵琶湖を越えた反対側の話である。私としてはつい勝手な思いが出る。助平根性であることは百も承知だが、行くからには実際にこの目で見たい。この距離を見通すには空気がよほどの透明度でないと無理だ。朝起きて三上山が真っ黒に見え、陽が昇ってからは比良山の斜面の色の変化が読める、それぐらいの透明度でないと見通せない。それを2,3日前から予測するのは不可能だ。どうしてもその日の朝ということになる。そんなことでついつい日が経ち今になってしまった。
ある日、例によってカシミールであたりを探っていて、安曇川左岸にある大荒比古神社(標題写真)周辺からも見えることに気がついた。神社ならヤマ勘で行ける。神社そのものからは見えなかったが、そこから数10m離れたところからこんな風景が見えた。カシミールの描写(高さを1.3倍に強調)と比べても間違いはない。しかし、イノシシ除けのネット、竹藪、高圧線。まさかこれを作品に使うわけにはいかない。これが風景の現実である。ぼやいても仕方ばない。それよりも驚いたのは、道路沿いに清水山城址の標識が立っていたことである。それが1本ならず、2本、3本と。そうか、ここがすでに城址の一角だったのか。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


清水山城址

昨18日、比良山初冠雪。観測史上いちばん遅いという。そう例年なら11月下旬のはず。標題写真は新旭町・清水山城址からの三上山である。私としては初めての場所。しかし意識しだして10年以上になろうか。思い入れが深い場所でどう取り上げようかと迷っているうちに日がたって、とうとう雪が来た。もう後回しにはできない。
かなり以前のこと、京都新聞の読者欄に、何かのイベントに参加して清水山城址へ登ったという趣旨の投書が掲載されていた。その文章の中に”遠く三上山が見えた”との一文が。先日書いた茶臼山公園からもそうだが、実際のナマの情報が一番うれしい。見える見えないについては、昔は地図に線を引いて苦労したものだが、カシミールが使えるようになってから何の苦もなくなった。しかしカシミールで”見える”と判定された場所の90%以上は見えないのが現実、樹木が邪魔をするのである。それに対して誰かの”見えた”情報は100%見えたということである。
さっそく地図を調べてみたが、その名は見つからなかった。投書の文脈から、多分このあたりだろうとスポーツ公園付近を走り回ったが、情報は得られなかった。2,3年前だったか、写真仲間のMさんに希望が丘の城山へ案内してもらった時だったか、その事情を話した。郷土史に興味を持って、城址探訪などをブログに発表しているMさんなら知っているかもしれない思ったからだ。さっそく下見に行って、メールで情報もいただいた。以下明日。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


スズメとお遊び

昨日の写真と同じやないかといわれそうだけど。確かにその通り、右へ数m移動しただけ。柿の木があってヨシが生えている(標題写真)。その中にスズメが遊んでいたらしい。私が近寄ったため、びっくりして飛び上がり、柿の木に乗り移った。あまり近くではすぐに逃げるだろうと、道幅いっぱいバックし、レンズを伸ばした。そこへ第2集団がやってきた。国勢鳥査もマイ何羽ー制度も徹底していないから数値では表現できないが、チュン公密度が増した。そのままやつらは動こうとしない。
やっぱり写真にするには、わーと飛び上がってほしい。半押ししながら待つ。これがつらい。いい加減くたびれたとき、向こうの方から散歩のおばちゃんがやって来た。当然おばちゃんは柿の木の横を通る。スズメが逃げる。そのときがチャンスだ。
カメラを構えなおした。4秒、5秒・・・。何事も起こらない。奴らはチュンチュンとやかましいだけ。そっと横目でおばちゃんを見ると知らん顔をして引き返していくところ。それはそうだろう。私でも人様がカメラを構えているその前を横切る勇気はない。通行止めをしてるようなものだったと反省。後方を開けておこうと前へ出た。
そーーーと近づいて、絵を作りなおそうと構えなおしたその時、オイコラッ! 飛ぶならワシがOKいうてから飛べ、バカヤロー。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


水鳥がいた

湖南市の大山池。池畔に近づくと、ヨシの陰から水鳥がスーと逃げ出した。見ればほかにも結構いる。ここで水鳥に出会ったのは初めてだ。冬場にはここへ(撮影に)来なかったということはないはずだが。それとも水鳥が最近になってこの池へ来るようになったのか。46時中、名神のクルマの音がわんわん響いているのだから条件は悪い。奴らはそれには反応せず、人間のわずかな気配に反応する。人間の何と罪深いことよ。
さきほどからヨシの陰で忘れたころにバチャン!と音がする。魚がはねたにしては音が大きい。と、黒いやつが飛び出してきた。カメラを向けた。おっかなびっくりで逃げ出した。シャッターを離さず追い続けた。鼻っぱしらが黄色いオオバンだ。いつか琵琶湖で鵜と間違えて調べてみて初めて知った名前だ。もう1枚。鳥だけ狙うのならレンズを長くすればいが、三上山という大前提があるから、そういうわけにはいかない。逃げていく鳥と三上山、結局、両方ファインダーに入ってきたのが標題写真。「どこに鳥がいるの?」といわれても仕方がない。いやいやお恥ずかしい。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


今年の紅葉

今年の紅葉は訳が分からん。早いのか遅いのか。赤い紅葉の横に、青いままなのがあるし・・・、ほんまにどうなってるのや、というのが教室諸氏の言葉。いや、ホンマ。確かにその通り。今が盛りなのもたくさんある。この写真などは、正真正銘、昨日の花緑公園のタイワンフウ。そうかと思うとすべて葉を落としてさっぱりしたのもある。
気がついてみたらもう12月も半ば、北桜・南桜からの紅葉定点観測をうっかりしていた。これは大山川タイル壁画の場所からの全姿。言うまでもない褐色の部分が今年の紅葉。確かに葉を落とした部分もある。グレーというのか、茶色とミドリが混ざったものというのか、そうゆう中途半端な色の部分が、すでに葉を落とした部分らしい。たとえば雌山の斜面中ほどに大きなグレーのハゲが見える。他にもその手が多い。褐色には写っていないけれども、落葉樹が勢いを増しつつあるのは間違いない。今年はこれで仕方がない。来年はしっかりウツシマス。小学生の作文やね。それまで生きておれるかが問題。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


Posted by
八田正文
at
07:26
│Comments(
0
)