豊かな谷

石寺からの帰りめったに通らない道を走った。多分、県道2号の浅小井町あたりへ出るだろうと見当はつけていた。どこかわからないが南側(三上山側)は広い農地だった。JR琵琶湖線を越えた。T字路へ出た。三上山へ向かってしっかりした2車線の道路、近江八幡の市街へ向かうらしい。どうせ現在位置はわからないのだから、どっち向いて走っても同じことだろう。左へ曲がった。路側帯があって車を止められる余地があった。車から降りたときに後ろからパトカーが来た。何事もなかったように通り過ぎていった。上り電車がやってきた。鏡山と三上山を組み合わせてシャッターを押した。
今いる場所はわからない。しかし、地図を見ながら、その場所が分からなければ撮った意味がない。鏡山と右の神社の森がポイントになる。GoogleMapで調べた。「饒石神社」というのが近江八幡市西庄町にある。しかし最初の字が読めない。「焼」という字の火へんを食へんに変えたものらしい。「しょう」ではなさそうだし。食へんの漢字一覧というサイトがあって、”饒舌(じょうぜつ)”の「じょう」だという。そういえば三島由紀夫に『豊饒の海』というのがあった。なるほど。ということは、「じょうこく神社」と読むのかな。訓読みでは「ゆたか」と読むのだそうだ。豊かな谷、谷なんてどこを見てもないのけど。
写真ステージ 「近江富士」
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オバアちゃんは一人で

30数年前、1回目の個展を開いたとき、見に来てくださった一人が「石寺からも見えますよ」。その一言がいまだに記憶に残っている。そのとき私は、近江平野のどこかに「石寺」という寺があるのだと受け取った。石寺てどこだろう。帰って地図で調べてみた。安土の近くに石寺という地名はあるが、探すお寺は見つからない。ついそのままになってしまった。その後、例の観音正寺なども地名は石寺であることを知り、ここらのことを意味していたのかと納得した。
国道8号を北上し、奥石神社のはずれから左へ折れて、最近とみに有名になった教林坊の方へ向かう広い道がある。その道がまっすぐ石寺の集落にぶつかって、一直線の里道が観音正寺への石段につながる。その集落のはずれから山に入る境が気になりだした。山に入ってしまえば無理だろうけど、民家が尽きるあたり、標高も結構高い。ひょっとして・・・。教林坊の紅葉ブームが下火になったある日、ものは試しと行ってみた。こそ泥よろしく、人サマの畑へ無断で侵入して、見えたのはこんな風景だった。アップしてもこんな程度。これでは何ぼなんでも無理だ。
引き返す途中、中年の女性が一人上ってきた。上を指さして「観音正寺はこちらですか?」、「そうです、ボクは途中で引き返してきましたけど」。石段に根を上げた意気地ないオジイに見えただろう。まさか三上山を撮りに来ましたとは言えないし。でもあのアバちゃんこれから登るのかなー。
標題写真はそのあと広い道に戻ってから撮ったやけくその1枚。オバちゃんは一人で山へ、オバアちゃんは一人で畑仕事。オジイは一人で三上山探し。人生孤独がいいのです。
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ランドマーク

守山市街地から琵琶湖へ向かう道路がある。現地の標識には「すこやか通り」とある。その名称が一般化しているかどうかは別にして、その両側にある公共施設を見ると、主要道路であることが分かる。めぼしいものを順にあげると、吉見小学校、守山市役所、JAおうみ富士本店、守山市民病院、守山公園、近江守山郵便局、県立成人病センター、県立小児保健医療センター、守山市民球場、守山中学校、湖南広域消防局北消防署、そして本願寺赤野井別院。ざっと挙げてもこんな調子である。
さて標題写真はその通りの琵琶湖に近いほう、赤野井集落の北の農地から撮ったものである。前方に見える家並みが赤野井集落。手前を走る浜街道沿いに建つ電柱が、タイミングによっては目だって写真にならないのが、このときは不思議に目立たなかった。
三上山の左、妙光寺山を挟んで大きなお寺の屋根が2棟見える。GoogleMapによると、右が本願寺赤野井別院、左が赤野井別院・東別院とある。お寺の屋根については三上山と組み合わせて見るとき、撮影位置の特定には重要な位置を占めるランドマークである。いまの場合でいうと、2棟の大きな屋根は言うまでもないが、それよりも三上山の頂上直下すぐ左の大きな木が2本並ぶお寺の屋根、福正寺がポイントになる。要するに撮影場所から見て、三上山と一直線上に並ぶものがほしいのである。
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イワシの頭

栗東市上鈎、国道1号・8号分岐の少し手前のところ、バスの中からの撮影である。昔は草津の宿で東海道か中山道か、どちらをとるかで悩んだという。いまはここで1号か8号か。「イチかバチか」の語源はここから来ていると信じている。イワシの頭も信心から。私がこれを信じているが、これが語源だとは言っていない。お間違いのないように。
場所は上鈎の信号を少しこえて、草津線越えへの上りにかかるところである。20年ほど前、ここから左前方、この画面で薄茶色の大きな建物が建っているあたりに雪をかぶった伊吹が見えた。ちょうどそのとき伊吹山と三上山が並んで見える場所を探していたので、遠く白い伊吹が見えたので印象に残っている。そのあと、これはひょっとしてと、近くの安養寺山へ上ったが、いくらなんでも無理だった。小さく遠い伊吹山は大きい三上山の後ろに隠れ、ちらりとも姿を見せなかった。このとき、最終的には立木山山中にその点を見つけ、それがさらに「地球が丸い」(『湖国と文化』誌に発表)につながっていく、その出発点に当たる場所である。そういう意味でもここは”イワシの頭”だったのかもしれない。
●なんでやろ・1号バイパス、甲西北中学辺りを走っていた時、比叡山が噴火しているように見えた。ちょっと走って脇道へ入り、撮ったのがこの写真。比叡山噴火デス。これは大事件デス。三上まで帰ってきた。?、煙はずっと右から上がっている。噴火口が動いたぞ。 なんでやろね。
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茶臼山公園・結

茶臼山公園、初めてだったからついつい長くなった。きょうで一旦終わりとする。国道から入って秋葉神社(近江大橋一望の駐車場)の方へ行く道。急な上り坂を挟んで芭蕉会館の反対側に芭蕉広場というのがある。先ほど小学生が遊んでいた。いまはどこかへ行って自転車が放置されている。その自転車を前景に芭蕉会館の入り口を見たところ(会館の建物は見えない)。広場の琵琶湖側の斜面に竹藪と樹木が混在している。それらのわずかな隙間から覗き見たのが標題写真である。
広場は三上山に対して左右に長く、手前の樹木によって絵が変わる。遠景はほとんど変わらないが、出来上がった絵は結構バラエティに富むところだった。もう1枚(右の山が菩提寺山)。この公園では徹頭徹尾方向感覚の狂いに悩まされたが、その中で一番驚いたのが、最初単に森の中に立っていると思っていた昭和5年建立の石標、しっかり周囲を見渡せば、そのそばから三上山が見えたことだった。まだほかにもそういう場所があるのかもしれない。
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秋葉神社

国道から入って最初のところ、芭蕉会館の近くに掲示されている地図である。グランドの左上と右下に駐車場がある(北が上になっていないから東西南北が使いにくい)。最初行ったとき一般道を走ってグランドの右下の駐車場へ入った。それで話がややこしくなった。グランドの左側、古墳周辺の部分をアップする。茶臼山古墳(前方後円墳)が画面右に見える。その前方部の上に見える駐車場。ここから三上山が真正面に見える。最初にこの駐車場に気がついていたら、何の問題もなかったわけだ。しかしそこで終われば、8日に見てもらった反対側の棚田からのアングルは見つけられていなかっただろう。私は常に多少遠回りしたほうがいいと思っている。
さて標題写真はその極めつけの駐車場から見た1枚である。近くの高校生(膳所高校山岳部かな?)が、ザックを担いで歩き回るトレーニングをしていた。とにかくどこを歩いても急勾配だから値打はある。いましもそのうちの1人が階段を上がってきたところである。手すりの勾配を見てもらうと急登であることが分かる。真正面に近江大橋が見え、その左上にもう1つ橋が見える。矢橋帰帆南端である。高校生のザックの後ろにマンションが2棟。これが例の棚田から見て三上山と重なって見えたものである。こちらが右へ寄ったことを示している。高層ビルは草津市街地。広いアングルをもう1枚。
カメラの背後が古墳の前方部である。石段がついていてそこを登ると秋葉神社の祠がある。カメラはいま、古墳前方部の上に立っていることになる。付近の住宅地の名称「秋葉台」はこの神社の名に因んでのことだろう。
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芭蕉会館

昨日、一昨日と見てもらった2枚の写真、とくに帰りに見つけた棚田の部分を見るにつけ、まだこの公園にはもっと見る部分があるのではないかという思いを抱かせた。地図もきっちり見ないまま、家を出てからの思いつきでやってきたわけだが、もっと奥深いものがあるのではないか。しかし、途中から急に曇って来たこともあって、その日はそれで引き上げた。
改めて地図を見直した。GoogleMapの航空写真をみると例の棚田の部分は上のグランドの近くまで深く入り込んでいるのが分かってきた。一昨日見てもらった昭和5年建立の石標も大きく見るとその棚田の中に立っているのが見える(航空写真では石標そのものは見えないが影が見える)。結局は、最初ヤマ勘で行ったため、2箇所にある駐車場のうち、国道から遠く回り込んだ方へ入ったため、公園そのものの大きさを勘違いしてとらえていたらしい。
2,3日して改めて再挑戦。標題写真は芭蕉会館の上の田んぼから見たところ。もちろん今は公園の一部になり桜などが植わっている。建物の入り口は琵琶湖側にあるのだろうと思っていたが、そこは急斜面、横側から入るようになっていた。何のことはない、標題写真の柵のすぐ下が玄関だった。前の道路はびっくりするような急斜面で、トレーニング中の高校生が元気に登っていった。そして、そのあとを見上げると、例の石標が棚田の上に立っていた。前回来た時、グランドの横からそこまで下りてきていたのだった。
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こんなところから

やっとの思いで木と木の間からの1枚(昨日の標題写真)を撮って、そのあと未練たらしくあたりを歩き回ったが、結局は何も見つからなかった。これだけの大きな展望があって、何で三上山だけが見えないのか。欲求不満を詰め込んだまま帰途についた。国道近くまで下ってきたとき、突然前方の視界が広がった。そして右前に棚田が。丘の上に風格のある家屋も見える。後で分かったことだが、「芭蕉会館」といって、膳所城址の二重角櫓を移築したものだという。写真には写っていないが、右後ろにクルマを置ける空地も。これはすごい。
標題写真はその棚田から撮ったものである。三上山と重なって背の高いビルが建っているのが気になるが、これさえ辛抱すれば文句のない場所である。すぐ下を通る国道と並行してJR琵琶湖線が走っている(手前の白い建物が目障りだが)。そういえば電車の中からこの建物を見た記憶がある。なーんだこんなところだったのか。GoogleMapを航空写真に切り替えると、畝が見える。いつの撮影かわからないが、少なくとも以前は畑だったところらしい。今はその影もなくただの空き地になっており、無断で入ることの善しあしを別にすれば、カメラポジションは自由に選べる。芭蕉会館の横の木はどうやら桜らしい。新たな課題である。上のグランド周辺での欲求不満はいつのまにか消え去っていた。
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